書評
『博徒の幕末維新』(筑摩書房)
アウトローから見た全く別の歴史
昭和二十年代生まれの人なら、清水次郎長、国定忠治、黒駒勝蔵といった侠客について、名前くらいは記憶しているはずである。浪曲・講談で繰り返し語られ、映画にも登場していたからだ。しかし、大衆文芸・芸能がすたれ、テレビが民衆の記憶を支配するようになると、こうしたヒーローたちは民衆からも忘れられた。いわんや、歴史学者が彼らを取りあげるようなことはほとんどなかった。しかし、そうした無関心の中で、彼らを忘却の淵から救い出し、正当な歴史の光を当てようと孤軍奮闘している歴史家がいる。『清水次郎長と幕末維新』(岩波書店)でアウトローの歴史へのアプローチを確立した著者である。本書は、次郎長の最大のライバルだった黒駒勝蔵を最終的な射程におさめながら、竹居安五郎、勢力(せいりき)富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治らの「活躍」を歴史学のふるいにかけようとする試みである。
冒頭語られるのは嘉永六年六月八日の深夜に決行された竹居安五郎の島抜けである。すなわち甲州竹居村無宿の安五郎は六人の仲間とかたって、流刑地新島の漁師二人を人質に取り、快速漁船で伊豆網代に上陸する。漁師たちは網代沖で海に飛び込み、御用船に通報するが、なぜか役人たちはまともにとりあわず、安五郎らはまんまと逃げおおせる。とりわけ、安五郎は兄弟分である間宮村の博徒久八の手助けを受け、故郷に帰りつくと、子分の黒駒勝蔵を配下に従えて大親分として売り出していく。じつは、このとき、大事件が起こっていて、韮山代官江川太郎左衛門は下田に出掛けていたのだ。いわずと知れた黒船の来航である。
幕末維新幕府倒壊に向かって外から黒船が恐るべき圧力となって幕府に襲いかかった。と同時に無宿者のアウトローが、支配秩序のスキ間を縫って堂々と公的世界に踊り出たのである
小説のような巧みな導入部である。だが、著者は小説家ではなく歴史学者である。ゆえに、偶然の一致の一言で片付けるわけにはいかない。つまり、安五郎はなぜ逃げ果(おお)せ、さらに侠客としてカムバックできたのか、その原因を歴史的資料から明らかにしてゆく。
第一の疑問は、江川太郎左衛門が幕府に抜擢され、一年後のペリー再来までに品川沖に砲台を築く仕事を命じられたことと関係している。砲台を築くには膨大な数の人足が必要だが、その人足は大親分の久八の仲介なしには集まらなかったのである。久八は別名大場久八というがその「大場」は「台場」が誤って伝えられたものという。
一方、安五郎が侠客としてカムバックできたのは実家の中村家が竹居村で名主として重きをなしていたことが背景にある。用水権や入会権を巡って村同士の紛争が絶えなかった甲州では、名主は必然的に地域の調停役を演じたり、あるいは配下を従えて自衛の戦いに打って出なくてはならなかったが、それが結局、中村家をして地域暴力集団の長となるよう運命づけ、安五郎は故郷のヒーローとなりえたのである。
ところで、安五郎の島抜け騒ぎがあった嘉永年間は各地で博徒集団が幕府を相手に大立ち回りを演じた時代としても知られる。関東取締出役配下の五、六百人を相手に万歳山に立てこもった下総の勢力富五郎、無宿者二十人を率いて武州一帯を荒らし回った石原村無宿幸次郎。彼らは鉄砲で武装し、徹底抗戦の末、殺されたり自害した。これに国定忠治を加えた博徒集団の伝説は嘉永水滸伝として大衆文芸や錦絵に取り入れられた。
では、肝心の安五郎のその後の運命はどうなったのか? 安五郎が島抜けの勲章とともに故郷に戻ったことが無宿者の勢力地図を塗り変える結果を呼んだのである。「幕府の指名手配中の最重要人物を捕らえようとする勘定奉行・関東取締出役に協力するグループと安五郎との種々のつながりからこれに敢えて敵対も辞さないグループヘの二極化の趨勢(すうせい)である」
後者のグループの代表が黒駒勝蔵。前者のそれは国分三蔵。両者は抗争を繰り返したが、ついに安五郎は逮捕され、獄中死する。ちなみに清水次郎長は国分三蔵に味方し、勝蔵と激しく対立した。そこから悪役黒駒勝蔵のイメージが生まれたのだが、実際の勝蔵はもっと複雑でスケールの大きい人物である。
というのも、幕府のお尋ね者黒駒勝蔵は慶応四年の正月、なんと官軍赤報隊の隊長池田勝馬となって姿を現すからだ。勝蔵は同郷の神主で草莽の志士である武藤藤太と関係があり、ともに甲府城攻略を企てたさいに知り合った相楽総三を介して赤報隊に参加したらしい。しかし、赤報隊が偽官軍と見なされたあたりから黒駒勝蔵の運命は暗転する。明治四年、第一遊撃隊への帰隊の日限を守れなかったことを理由に、勝蔵は斬刑に処せられてしまう。幕府に対抗する暴力として維新政府に利用されたあげくに捨てられた黒駒勝蔵や哀れ。
アウトローという観点から幕末維新を眺めると、別の歴史が見えてくる。
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