書評
『復讐法廷』(文藝春秋)
これは近ごろ出色の法廷小説である。今まで文春文庫に収められた海外エンタテインメントの中でも、ベスト3にはいる作品であることは間違いない。この作家は二年ほど前、『女医スコフィールドの診断』の翻訳が出て注目された人だが、重厚さと適度の通俗性を合わせもった第一級のストーリーテラーである。
若い女性を強姦し、殺害した黒人が一人の老人に射殺される。老人は殺された娘の父親だった、その黒人は、一度は強姦殺人罪で逮捕されながら、警察官の逮捕、取り調べの手続きに違法があったとして裁判官の裁定で不起訴処分となり、釈放されていたのだ。父親は娘の仇をうつため、何もしてくれぬ裁判所に代わって犯人を射殺したのであるが、同時に法の不合理を世論に訴えようとただちに自首し、有罪を覚悟で法廷に戦いを挑む。ところが父親の犯した罪は第二級謀殺という重罪に当たり、動機は問題とされずに殺す意思があったかどうかが最大のポイントとなることから、法律的にはなはだ絶望的な状況に追い込まれる。
物語は、主人公である売れない青年弁護士が老人の無罪を勝ちとるため、徒手空拳で法の厚い壁に立ち向かう姿を描いていく。このあたりは法廷物によくあるパターンといえばいえるが、本書は違法収集証拠排除法則の内包する矛盾に挑戦するという、意欲的なモチーフを含んでいるのである。明らかに有罪を示す証拠が揃っており、しかも犯行を自白までしている強姦殺人犯が、いかに手続きに違反があったとはいえ、堂々と釈放されるというのは日本人の感覚ではほとんど考えられないことだ。しかしアメリカの法は確かにそう規定しているのであり、作者はそれに対して警鐘を鳴らすためにこの作品を書いたとさえ思える。といってもこれは決して法律論ばかり出てくる堅苦しい小説ではない。的確な性格描写と劇的なドラマ展開を備えた、恋あり友情ありの良質なエンタテインメントなのである。
田中裁判を例にとるまでもなく、法律論争はわれわれにとってかならずしも疎遠な話題ではない。アメリカと日本では法体系も裁判制度も違うが、ここに盛り込まれたテーマには対岸の火事視できないものがある。少なくともこの作品にはそう思わせる何かがあるといってよい。
今はやりの冒険小説やハードロマンとやらに比べれば地味かもしれないが、こういう作品にこそ小説の醍醐味があることを指摘しておきたい。派手なアクションもあっといわせるどんでん返しもないが、大人の小説とはこういうものだという良い見本がここにある。法律に詳しくない人、裁判にあまり関心のない人でも間違いなく楽しめる。これほどの作品が読めるなら、文庫本もまだ捨てたものではない。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
若い女性を強姦し、殺害した黒人が一人の老人に射殺される。老人は殺された娘の父親だった、その黒人は、一度は強姦殺人罪で逮捕されながら、警察官の逮捕、取り調べの手続きに違法があったとして裁判官の裁定で不起訴処分となり、釈放されていたのだ。父親は娘の仇をうつため、何もしてくれぬ裁判所に代わって犯人を射殺したのであるが、同時に法の不合理を世論に訴えようとただちに自首し、有罪を覚悟で法廷に戦いを挑む。ところが父親の犯した罪は第二級謀殺という重罪に当たり、動機は問題とされずに殺す意思があったかどうかが最大のポイントとなることから、法律的にはなはだ絶望的な状況に追い込まれる。
物語は、主人公である売れない青年弁護士が老人の無罪を勝ちとるため、徒手空拳で法の厚い壁に立ち向かう姿を描いていく。このあたりは法廷物によくあるパターンといえばいえるが、本書は違法収集証拠排除法則の内包する矛盾に挑戦するという、意欲的なモチーフを含んでいるのである。明らかに有罪を示す証拠が揃っており、しかも犯行を自白までしている強姦殺人犯が、いかに手続きに違反があったとはいえ、堂々と釈放されるというのは日本人の感覚ではほとんど考えられないことだ。しかしアメリカの法は確かにそう規定しているのであり、作者はそれに対して警鐘を鳴らすためにこの作品を書いたとさえ思える。といってもこれは決して法律論ばかり出てくる堅苦しい小説ではない。的確な性格描写と劇的なドラマ展開を備えた、恋あり友情ありの良質なエンタテインメントなのである。
田中裁判を例にとるまでもなく、法律論争はわれわれにとってかならずしも疎遠な話題ではない。アメリカと日本では法体系も裁判制度も違うが、ここに盛り込まれたテーマには対岸の火事視できないものがある。少なくともこの作品にはそう思わせる何かがあるといってよい。
今はやりの冒険小説やハードロマンとやらに比べれば地味かもしれないが、こういう作品にこそ小説の醍醐味があることを指摘しておきたい。派手なアクションもあっといわせるどんでん返しもないが、大人の小説とはこういうものだという良い見本がここにある。法律に詳しくない人、裁判にあまり関心のない人でも間違いなく楽しめる。これほどの作品が読めるなら、文庫本もまだ捨てたものではない。
【新版】
【この書評が収録されている書籍】
週刊東洋経済 1984年10月22日
1895(明治28)年創刊の総合経済誌
マクロ経済、企業・産業物から、医療・介護・教育など身近な分野まで超深掘り。複雑な現代社会の構造を見える化し、日本経済の舵取りを担う方の判断材料を提供します。40ページ超の特集をメインに著名執筆陣による固定欄、ニュース、企業リポートなど役立つ情報が満載です。