書評
『田舎医者』(みすず書房)
難解さを"解毒"する達意の訳
カフカ神話の果てしない増殖、と訳者が書いているが、まことにカフカは、ランボーとともに、新解釈という名の神話を際限もなく増殖させてきた。ニ人とも、生き方そのものが神話を作らずにはいない上に、作品が、千年考えこんでもわかりそうもない難解さを備え、難解だからこそ、はげしく魅惑するというタイプの文学者だからである。訳者の吉田氏は、その神話を、しばらく括弧(かっこ)に入れよう、と提案する。そして、生前のカフカが、とびきり大きな活字を望んで、クルト・ヴォルフ社から刊行してもらったとおりの、大きな、おいしそうな活字で、日本版カフカ短編集を読んでもらおう、と考えた。その試みの、これは第二弾である。
『田舎医者』は有名短編集で、いろいろな人が訳している。だから、吉田氏の訳業は、カフカを、ゆったりと、日本語での味を噛みしめながら、中国料理のヤムチャでも味わうようにして読んでもらおうという、この一点にこそ意味がある。そしてその試みは、成功している。「家父の心配」の一節を引こう。
この物体も、もとはなにか目的にかなう形のものだったのが、いまでは壊れてしまっているだけだと思いたくなるかもしれない。これはしかし、そういうことでもないらしい。少なくとも、それらしいところは見られないし、そんなことを暗示するような手がかりとか、なにか千切れたあとなどはどこにも見当たらない。全体は無意味なように見えても、これはこれなりに完結している。
形状も存在理由も名称も、いくら言葉をつくしてもよくわからない。そういう生きた物体「オドラデク」を描いた短編に、じつにぴたりと合った訳文だ。小さい活字で三段組みにすると、たったーページにおさまるこの小品を、吉田氏は、大活字で、堂々、七ページの物語に仕上げている。楽しく読むカフカ。これはたしかに、神話病への解毒剤になる。
(事務局注:本書評は高科書店より刊行された吉田仙太郎訳『田舎医者』に対してのもの)
ALL REVIEWSをフォローする