後書き

『悪女入門 ファム・ファタル恋愛論』(講談社)

  • 2018/01/19
悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書) / 鹿島 茂
悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書)
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(248ページ)
  • 発売日:2003-06-19
  • ISBN:4061496670

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

あとがき

最近、私が提起している概念の一つにゴレンジャー・ガールというのがあります。

いきなり、こんなことを言っても、読者はなんのことかわからないでしょうから、少し説明しておきます。

いまもテレビで毎週放映されている子供番組に「○○戦隊××レンジャー」のシリーズがあります。その第一作が「秘密戦隊ゴレンジャー」で、色別のマスクとジャンプスーツに身を包んだ五人の戦士が、地球を襲う悪の軍団と戦うという内容でした。

この番組が始まった頃、近所の子供たちの遊びを観察していますと、女の子の中に、かならずゴレンジャーの紅一点のモモレンジャーをやりたがる子供がいました。つまり、たいていの女の子たちはおままごとやお人形さんごっこをして遊んでいる中で、少数ですが、男の子にまじってゴレンジャーごっこをして遊びたがる女の子がいたのです。私は、こうした紅一点の女の子をゴレンジャー・ガールと名付けました。

観察していると、このゴレンジャー・ガールは、かわいいかわいくないにかかわらず、男の子たちからとてもモテているようでした。しかし、私は、この子の未来を透視してみて、なんとなく悲しい気持ちになりました。なぜなら、思春期を過ぎたら、このゴレンジャー・ガールは、絶対にモテなくなるだろうなと予想できたからです。

男の子たちは、思春期を過ぎて性欲モードに入ったとたん、それまで一緒にあそんでいたゴレンジャー・ガールには見向きもせず、百パーセント女である女の子(私はこれをウッフンと名付けました)のほうに間違いなく惹かれるはずです。なぜなら、ウッフンたちは、先天的に男を蠱惑(こわく)する技術を身につけていますので、男の子たちは手もなくやられてしまうからです。オスの本能を持った男は、フェロモン誘導にたけたメスのほうに吸い寄せられていくのです。

ところで、このウッフンの中には、誘惑技術をすべて身につけたスーパー・ウッフンとでもいえる女の子がいます。こうしたスーパー・ウッフンの誘惑技術は、もはゃ技術というよりも芸術(アート)の域にまで達しています。ひとことで言えば、スーパー・ウッフンというのは、誘惑のアーティストなのです。彼女たちにかかっては、どんなに志操堅固な男でもひとたまりもありません。巨万の富をもった大富豪であろうと、あるいは前途有望なエリートだろうと、たちまちのうちに軍門に下ってしまいます。

いっぽう、ゴレンジャー・ガールはというと、こうしたスーパー・ウッフンゃ普通のウッフンが次々にいい男をゲットしていくのを指をくわえて見ているしかありません。彼女たちは、たとえ好きな男ができたとしても、女の媚び(コケットリー)を駆使して男を籠絡するという技術を知らないからです。そのために、やっと好きな男ができて、いい関係に入ったと思っても、「友達以上、恋人未満」の関係をなかなか抜け出すことができません。そのあげく、思い詰めたようにいきなり愛の告白をしたり、セックスに誘ったりして、逆に男に引かれてしまうことが多いのです。

私は、こうした状況を観察していて(女子大の教師ですから観察のサンプルには事欠きません・事務局注:本文は2003年執筆)、ゴレンジャー・ガールたちに、なんとかスーパー・ウッフンの高度な誘惑技術を学ばせる方法はないかと考えました。なぜなら、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』でいみじくも言っているように、「女は女として生まれるのではなく、女になる」のですから、ただ肉体的に女として生まれてきたというだけでは、誘惑術は身につかないからです。どこかで、それを後天的に学習することが必要となります。とりわけ、先天的にそれを欠いているゴレンジャー・ガールには学習が不可欠です。人間としての魅力という点から見ると、ウッフンよりもゴレンジャー・ガールのほうが魅力のあるケースが多いのに、結婚までこぎつけないどころか、恋人もできないとは、あまりにもかわいそうです。なんとか、彼女たちが誘惑術を無理なく学べる方法はないものでしょうか?

そんなとき、ふと、「なんだ、そんなことなら前からやっているじゃないか」と膝を打ちました。なんのことかといえば、私が大学で教えているフランス文学というのは、ファム・ファタルと呼ばれるスーパー・ウッフンの登場する小説ばかりなのですから、少し、力点の置き方を変えてやれば、「フランス文学史」も「フランス文学演習」も、そのまま、ファム・ファタルの誘惑術の講義となりうるのです。フランス文学を勉強するといったのでは、欠伸(あくび)をしてしまう女子学生も、ファム・ファタルの誘惑術ということなら身を乗り出すにちがいありません。なにしろ、それを学びさえすれば、ゴレンジャー・ガールもスーパー・ウッフンに変身できるのですから。

こうして、従来の講義ノートをファム・ファタルの誘惑術、つまり悪女入門という観点から書き直してみたのが、この本です。

最初、それは「マリ・クレール」の一九九四年一月号から同年十二月号にかけて十二回連載されました。しかし、一回の分量が四百字詰め原稿用紙で五枚という短いものでしたので、ほとんど、内容レジュメの域を出ませんでした。一冊の本にするには、その五倍は書き足さなければなりません。

ところが、私は、例によって、ひどく怠け者ですから、この「書き足し」という作業がどうしてもできません。「講談社現代新書」の編集者の方から、本にしたいというありがたい申し出を受けたのですが、「書き足す」時間がないまま何年か経過してしまいました。

そこで、あるとき、意を決して「講談社現代新書」の上田哲之さんに、どこかに連載というかたちを取っていただけたら、締め切りの偉大なるカで、なんとか書き足しが可能になるのではないかと提案してみました。その結果、「FRaU」で連載の承諾をいただき、ようやく、書き足しの作業を開始することができたのです。

ところが、いざ手掛けてみると、書き足しというのはとても厄介な作業であることがわかりました。これなら、いっそ、初めから全部書き直したほうがいいのではと思ったのです。

こうして、「FRaU」にニ〇〇二年三月二十六日号から二〇〇三年四月二十二日号まで「悪女入門ファム・ファタル文学史」と称する連載がはじまりましたが、それは以前の原稿を一部再使用してはいるものの、内容的にはまったく異なるヴァージョンになってしまいました。書き足しよりも書き直しのほうがはるかに楽だったからです。実際のところ、「マリ・クレール」版と「FRaU」版は、完全に別の作品といってもかまいません。

では、具体的にどこが一番違っているのかといえば、それはやはり、ファム・ファタルの誘惑術の分析、解説に力が置かれている点です。我ながら、ほとんどハウ・トゥー本のような親切さではないかと思いました。

とはいうものの、原型となったのは、文学史と文学演習の講義ですから、フランス文学を学ぶという側面も失ってはいません。つまり、本書は、フランス文学と同時にファム・ファタル誘惑術も学べる、一粒で二度美味しい、きわめてお得な新書にしあがっていると思います。これなら、ゴレンジャー・ガールのみなさんも、フランス文学を楽しみながらファム・ファタルに変身できるのではないでしょうか?

「FRaU」連載中は、長谷川淳さん、また、新書にするにあたっては阿佐信一さんのお世話になりました。最後に、こころからの感謝の気持ちを捧げたいと思います。

二〇〇三年五月二十二日 鹿島茂
悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書) / 鹿島 茂
悪女入門 ファム・ファタル恋愛論 (講談社現代新書)
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(248ページ)
  • 発売日:2003-06-19
  • ISBN:4061496670

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

関連書評/解説/選評
鹿島茂の書評/解説/選評
ページトップへ