書評
『鴎外随筆集』(岩波書店)
ロシア料理の店
久しぶりに友人とNHKの仕事で一緒になった。せっかくだから本郷辺で一杯やろうと送りのタクシーに乗ったが、これが渋滞。車内で話すこともなくなったころ、駿河台下の交差点で「バラライカ」というロシア料理の看板が見えた。「あ、この店一度入って見たかったんだ」と叫ぶと、「じゃ行ってみよう。すみません、ここで止めて下さい」と彼は車を降りてしまった。まだ五時で開けたばかり。トントンと階段を下りると、赤いテーブルクロスにキャンドルの別世界。ルパシカを着たウェイターが持ってきたメニューを開いて驚く。高い。「いいの」と千円札一枚赤提灯派の私がオズオズ見上げると、「いいよ、話のタネだ。来たかったんだろ」と動じない。
その昔、母が「ミセス」という服飾誌を取っていた。私は毎月、これを隅から隅まで読んだ。朝吹登水子さん、石井好子さんが私にパリの香りを運んでくれ、アメリカのことは犬養道子さんに教わった。万葉集や源氏物語の解説連載もあって、私の教養の基礎がこのやや気取った雑誌だったのはまちがいない。
なかでも毎号、世界各国の料理がカラーグラビアで紹介されているのが楽しみだった。ロシア料理の月がこの「バラライカ」。私は息を呑んで、キャビアとかザクースカとかシャシャリクとかいうエキゾチックな料理の名を覚えた。きのこの壺焼、なんておいしそうなのだろう。そしてサモワールやジャム入り紅茶の一風変わった容器、深い真紅のクロス、料理の背後にあるロシアの文化にすっかり魅入られた。
この印象が強くて、私はツルゲネフ、プーシキン、チェホフ、トルストイなどの文庫を読み出した。中学に入ると「イワン雷帝」「アンナカレニナ」「ドクトルジバゴ」などの映画を見に行き「黒い瞳」を口ずさんだ。長年胸のすみにあったレストラン「バラライカ」に行って、私は長年の夢が一つ、叶ったような気がした。
家に帰ってたまたま鷗外全集を開いたら、二葉亭のことをつづった「長谷川辰之助」があった。
二葉亭は本郷弥生町に住んでいた。鷗外は本郷千駄木町。歩いて二十分ほどの距離なのに「逢ひたくて逢はずにしまふ人は沢山ある」と鷗外は書く。「私のとうとう尋ねて行かずにしまつた人の一人であつた。」
それでも一度だけ、二葉亭が千駄木の鷗外を来訪したことがあるそうだ。「浮雲」作中の人物とちがい骨格の逞しい偉丈夫だった。「舞姫」を露語に訳させて貰って有難い、と二葉亭が述べれば、それはあべこべだ、お礼は私がいうべきだ、と鷗外は答えた。二葉亭は存外、文学論をやらず、露西亜の国風や人の性質などを語った。はじめて逢った人のようではなかった。それでも「一時間まではゐないで帰られたやうに思ふ」。
まもなく二葉亭はロシアから帰る途次、肺結核のためインド洋上で客死。鷗外はその最期を想像する。
「海が穏である。印度洋の上の空は澄みわたつて、星が一面にかがやいてゐる。……暫く仰向いて星を見てゐられる。本郷弥生町の家のいつもの居間の机の上にランプの附いてゐるのが、ふと画のやうに目に浮ぶ……長谷川辰之助君はぢいつと目を瞑(つむ)つてをられた。そして再び目を開かれなかつた」。
サラリとした風のような出会い。しかし尊敬する同業者を悼むさわやかな感傷があって、私はここを読んで少し、泣いた。
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