家も学校もとびきり、比類なき人物の青春
不必要な言葉、いらない章は一つもない。メイ・サートンは三年前に亡くなったが、いつも本が訳されるのを心待ちにしていた。内省的ないままでの数冊にくらべ、行動的で溌剌たるメイの青春に驚かされる。と同時に、自伝へのスケッチとあるように、この比類ない人格の形成の秘密が語られている。
父と母の物語から始まるところが興味深い。父ジョージ・サートンはベルギーのゲント生まれ。「はるかな父の家のキッチンからスープ用の香草(ハーブ)を刻む音が聞こえてくる」。何列ものワイングラス、泡の立つバーガンディ、きつね色のミートローフ。音と匂いと色が、このビクトリア調の生活を喚起させる。そして、個性的な親族が見事に描き分けられる。
母メイベルは英国人。この二人がゲントの進歩的なサークルで出会い、メイが生まれる。「眩しい陽の光にみちた家であり、私はそこで生まれた」
母が七つ年上で家具デザイナー、父は科学史家、二人とも菜食・禁酒主義者で、社会主義に傾いている。娘がブルジョア的モラルを身につけなかったのも当然だろう。そしてメイは「父の娘」だった。父に肯定された娘に特有の幸福感と人生への果敢さが全編に流れている。一家は第一次大戦でドイツ軍に侵攻されたベルギーから、アメリカへ渡った。
家庭環境に加えてうらやましく思ったのは、メイの通ったシェイディ・ヒル・スクール。バラックのような校舎、極寒の時も窓をあけ、生徒はミトンをはめ、寝袋にくるまって授業を受けた。ここでは詩の朗読が重視され、歴史を勉強するのにギリシャ人やローマ人、アメリカ・インディアンに扮して劇を演じたという。オープンな心、学習への愛、うのみにせず問いかける心の尊厳。「私たちは学校を生き、呼吸した」
高校を卒業し、メイは十七歳でニューヨークに旅立つ。大学へ行かず女優になることを許すとき、煙草をすすめた父。パリで質草が一文にもならず、最後の数フランでマロン・グラッセを買い友と笑いあったメイ。そうした印象的な姿が、きらめく比喩とユーモアの波間に浮かび上がる。「慈しまれている過去の思い出にたいして、現在がどうして太刀打ちできるだろう」。本を閉じてうなずいた。