書評
『独り居の日記』(みすず書房)
豊かなる孤独
「昨日は前庭でキノコを摘み、ミルドレッドのためにコップいっぱいのラズベリーを摘む。木の葉は早くも散り落ちてゆくが、まだ色合いは柔らかで、燃え上る十月のそれではない。空気は熱帯のように湿気を含み、私を消耗させる」「目が覚めると銀世界で、牧場は厚い霜におおわれていた。昨日午後私が花壇においたえぞまつの枝は、まるでいぶし銀を吹きかけられたようだ――おまけに青空と、なんという光!」
『独り居の日記』(M・サートン、武田尚子訳、みすず書房)はアメリカ・ニューハンプシャーの片田舎で一人暮らす女性作家の、一九七三年の日記である。美しい自然の中の内省の日々について、すでに『夢みつつ深く植えよ』を書いたが、その本はやや気楽な田舎暮らしの書と受け取られたようだ。「ここでの生活にまつわる懊悩と怒り」まで、壁をつき破るために彼女はさらに書く。
ひとりでいることの価値は「内部からの襲撃にたいして衝撃を弱めるクッションの何一つないことである」という。クリスマスの楽しい贈り物に、愛されいたわられていると感じる昂揚した日もあれば、気分が沈んでベッドから這い出せない日もある。会いにこいとしつこくせがむ老婦人に朝の仕事が乱される。書評に傷つく。かっとしながら、かんしゃくの発作とは、狂気や病気への安全弁ではないのだろうかと考えることもある。
心の嵐が「どんなに辛かろうと、その嵐は真実をたくわえているかもしれない。時には気持ちのふさぎにただ耐えて、それが明るみに出すもの、要求するものを見つめるほかはない」「私には抑鬱の原因よりも、それに耐えて生きるための処理の仕方に興味がある」と彼女はいいきる。この勁(つよ)い孤独なこころと、私は真のコミュニオンを持ちたいとおもう。
一九七三年のアメリカの政治・社会情況、ドゴールの死などについてもいきいきとした観察がある。外界への好奇心はたいしたものだ。境遇を異にする同時代の女性たちの苦悩についても深く思いやる。
「女の生活はこまぎれである。・・・・・・私が大変な数の手紙から受けとるのは〈自分だけの時間〉を求めての叫びなのだ」。友人の便りは「女が結婚して子供をもち、かつ創造的であることがいかに困難かを思い知らせる」
年をとることは成長すること。深く愛することができること。自然に身をゆだねる自由を得ること。
「私は五十八歳であることに誇りをもち、いまだに生きて夢だの恋だのと関わりあい、かつてなかったほど創造力もあればバランスも保ち、可能性を感じている。肉体的な凋落のいくつかは気にならないことはないけれど、つきつめてみれば気にならない」
このみずみずしい精神は、本書以降もさらに十数冊の作品を生み、いまでは広く読者を得ているという。
深夜、この本を独り読むとき、私は少しだけ〈精神の業界化〉から遠ざかることができる。何度も頁をめくる本になるだろう。
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