書評
『世界の民家―住まいの創造』(相模書房)
手当たり次第に作ってきたもんだ
現代の大都会の住宅問題を考えると明るい話題がどこにも見当たらないから、気分が沈む。そんな時、僕は、いっそ逆に時間を今から昔へと戻し、場所を都会から田園へと移して民家の本を読むことにしている。いや見ることにしている。日本の草葺きの屋根の写真でもいいし、アフリカの泥の家でもチベットの石積みの家畜小屋のスケッチでもいい。近代化の波が世界を洗いさらす前の、各地の住まいの作り方を紙の上に眺めていると、いつしか絵や写真の中に自分も入り込んで、土間の湿りぐあいやワラの温かさや石のヒヤリとした感覚が戻ってくる。昼間のビジネスのストレスを晩酌で散じるような気持ちで僕は民家の本を手にする。
このたび刊行された『世界の民家住まいの創造』(相模書房)を手にして、久しぶりにいい民家の本を味わわせていただいた。
著者の川島宙次さんは大林組の建築技術者で、たしか部長さんのポストに就いておられた。 いってみれば“サラリーマン学者”で、長いこと日本の民家の探訪を重ね、その成果を本にまとめてきた。
そしていつ頃からか、足をアジアやヨーロッパにも広げて、会社の方は辞められるんじゃないかと思うくらいの打ち込みだったが、仕事の方もちゃんとこなされたらしく、本の数が増えるのと比例してサラリーマン階段を着実に踏んでいかれたように見受けられた。一度もお目にかかったことはないが、こんな人にちがいないというイメージがあるから不思議で、細身で穏健で口数の少ない人じゃないかと思う。
さてこのたびの本だが、地球上の民家が大量に登場するのがうれしい。川島さんの方法というのは、とにかく現地を訪れてスケッチし、それをあれこれ考えずに並べてみせるというのが強みで、言ってみれば十八世紀の博物学者が地球の各地に出かけていって動物や植物を採集して図録をこしらえたのと同じ。この方法は、採集例が多ければ多いほど、採集地が広ければ広いほどいいわけで、今度の本はそういう方法をよく生かしている。これ以上いろんなタイプの民家の載る本は世界にもないかもしれない。
ページをめくると、とにかくよくもまあ人間は手当たり次第に家を作ってきたもんだとあきれる。
土や石や草の家は想像もつくが、たとえばトウモロコシの家なんてどうだろう。家の壁がトウモロコシの茎でできているのだ。水辺に生えるアシを束にしてそれで柱から天井までこしらえた家なんかパスカルに見せてあげたい。木の葉を屋根に葺き、壁まで張りつけた家なんかまるでミノ虫の家みたいだ。いくら石も木材も粘土もない土地だからといって、木の小枝をカゴのように編んで骨組みとし、その上から牛のフンを塗りたくった家なんてのは、臭気は大丈夫なんだろうか。
とにかく奇想天外というか、人だか虫だか動物だか分からないような家から、いかにも民家らしいなつかしい民家まで世界各地のタイプが網羅されている。
土曜の夜の夕食の後なんかにこの本をテーブルに広げて、自分ならどれに住みたいか家族でワイワイやれば楽しい。
僕は、アフリカの泥の家やパキスタンの木石混合積みの家もいいが、やはり純粋に木造の家がいいと思って、フィリピンのパナイ島のイロイロ市の樹上の家を選んだ。柱が本当の樹なんだからこれくらい粋度の高い木造建築はない。
樹上の家を選んでみて、やはり子供時代のことが後をひいてるんだなあ、と改めて思った。今の都会の子供はどうかしらないが、昔の少年の遊びに、家らしきものを仮説的に作って、そこを自分たちの陣地というか秘密の隠れ家にするというのがあった。崖のくぼみとか大きな樹の根の周りとか工事用の大きな管の類とか、とにかく身辺にあるものを利用して、拾ってきた木や布や板やトタンを利用してバラックを工夫する。なかでも人気のあるのは樹の上の家で、板や棒を枝から枝に渡して床とするのだが、枝ぶりもよく材料も十分という機会はなかなかなくて、たいてい床の一部ができたところで終わり。それでも、樹上にいる連中は地上にちゃんと小屋をこしらえた連中より偉そうにしたものだ。
思い出しただけでもウキウキしてくる。しかし、この頃の家作りからはそういう子供時代のウキウキが消えてしまった。台所の作りとか明るく清潔なインテリアとは別に、家を作るということの中には子供時代の小屋作りの延長の喜びがあってしかるべきなのに、なぜか今は消えた。女性が家作りの主導権を握ったことが原因なんてことはないだろうか。子供の頃、女の子が小屋作りに参加した記憶がない。
現代の家作りでは影の薄くなった父親と息子が一緒にページを開いてほしい一冊。
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