「小説はだめなもの」と全力で否定したら、最高の小説になってしまった
『小説禁止令に賛同する』に心から賛同する。すばらしい『禁止令』、とんでもなく挑戦的な「随筆」である。二〇三六年の近未来。場所はかつての日本のようだが、「日」と「本」という字が黒く伏字にされているので定かではない。今、この国は「東端列島」という名で、隣国の「亜細亜連合」の一部としてその支配下にある。書き手は元小説家であり、思想犯として十二年間投獄されていたが、このたびペンと紙を与えられ、「やすらか」なる小冊子にプロパガンダ記事を書くことになった。この管理国家の「小説禁止令」を礼讃する記事を!
そう、圧政者は、芸術と書物を必ず管理下におく。深い情動を喚起する文学や、蒙を啓く文章は、独裁の脅威になるからだ。だからヒトラーは本を焼きまくった。プリーモ・レーヴィは記憶中の文学を頼りに収容所を生き抜いた。
というわけで、某隣国も小説を禁止。本作著者は敗戦国の人間の務めとして、「嘘八百」である小説を、全力で否定していく。いわく、小説は「いかがわしい」「あと暗い」そして「呪わしい無意識を引きずっ」ておるのだ。
あっ、今、「おるのだ」なんて書いて、語り手という自分の声を前面に出してしまった。小説はもっと「小狡(こずる)い」から、語り手を見えないところに隠す。作者なんてどこにもいませんよ、みたいな顔をして中立的文体を駆使する。なんとあくどいことだ。あるいは、読者を「たちぎき」の共謀に引きこみ、「過去形」を使って、あたかも既成事実のごとく物事を確定する。こんな「欺瞞」は根絶せよ!
ところが、小説は人間の心に深く根を張り、強制しても矯正しても、形状記憶合金のようにまた形をなす。人は還る、小説的精神に、物語に、嘘っぱちに。
現に、いくら弾圧しても、本作は卓抜な文学論、小説礼賛、スウィフトの傑作「慎ましい提言」顔負けの風刺にして、最高の小説になってしまったではないか! 恐るべし、小説め。