書評

『遠読――〈世界文学システム〉への挑戦』(みすず書房)

  • 2018/05/18
遠読――〈世界文学システム〉への挑戦 / フランコ・モレッティ
遠読――〈世界文学システム〉への挑戦
  • 著者:フランコ・モレッティ
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2016-06-11
  • ISBN:4622079720
内容紹介:
少数の「正典」の「精読」で世界文学は語れるのか?膨大な数の小説をコンピュータ解析し進化論から文学史を論じる挑戦的比較文学論。

十数年来の世界文学ブームの火付け役

「遠読」とは聞き慣れない言葉だが、原典を精密に読むclose reading「精読」に対して、distance(距離)をとって読むという意味であり、「翻訳を介して読む」という手段が含まれる。二十世紀の半ば過ぎまでは、欧州とせいぜい米国の文学を視野に入れていれば、「世界の文学」は語れた。しかしポストコロニアル以降、欧州言語による文学だけを比較しているのでは間に合わなくなった。とはいえ、世界中の作品を原典で読み尽くしてから研究にかかるのは不可能だ。

そこで、モレッティはまず全体図を捉えるため、コンピュータ解析や、地図・樹系図などのビジュアルツールを駆使しつつ、翻訳書も活用して研究していこうと提言した。昔からの翻訳大国日本の読者からすると、「今ごろ?」と思うかもしれないが、世界文学の起点とされる西欧世界の文学研究は厳格な原典主義だし、現代翻訳学発祥の地米国も、close readingが大前提。モレッティの姿勢と方法論は、従来の文学研究と真っ向から対立するものだった。本書中でも、遠読を前面に押し出した論文「世界文学への試論」(二〇〇〇年)は、注目されるだろう。ダムロッシュの『世界文学とは何か?』にしろ、最新の文学理論を集めた『世界文学史はいかにして可能か』にしろ、スピヴァクの『ある学問の死』にしろ、この論文への反論として生まれてきたようなものだというのだから、これがここ十数年の世界文学ブームの火付け役になったとも言える。

この挑発的論文は、技巧、テーマ、ジャンルやシステムに関して、「ずっと大きい単位に焦点を合わせる」ためには、「受け売り」すなわち「一行の原典読解すらしない、他人の研究(引用)のよせあつめ」を利用すべしとする。曰(いわ)く、文学研究の「野心はいまやテクストからの距離に正比例しているのだ」。「テクスト自体が消えてしまうことがあるとしても<中略>システムをまるごと理解しようとするなら、なにかを失うことを受けいれなくてはならない」と!

ミラン・クンデラは、文学作品は翻訳で読んで充分に理解できると言っているし、ダムロッシュも、むしろ「翻訳されていっそう豊かさを増す作品こそが世界文学である」と定義しているが、原作と翻訳が同じものだとは言っていない。同一テクストでない以上、訳文に依拠した分析、読解、批評がどこまで効力をもつか?という問題はついてまわる。本書あとがきによれば、遠読によって「地雷を踏みぬいて」しまっているのが、中国の白話私小説と西洋文学を比較した「小説−−理論と歴史」や「ネットワーク理論、プロット分析」の章だと言う。また、マルチリンガルであるモレッティは、じつは原典も無数に精読したうえで遠読に臨んでおり、結局は、精読、遠読の共存を主張しているようだ。

もともとこの「試論」の発想は、柄谷行人『日本近代文学の起源』のジェイムソンによる英訳版序文から生まれたため、中核、半周辺、周辺という語(訳語)が採られ、経済理論を援用したこのような表現になる。「起点(ソース)文学は直接融資・間接融資のソースになる<中略>−−目標(ターゲット)文学への〔…〕融資のソース。文学の干渉に左右対称ということはない目標文学は起点文学によって干渉を<中略>受けるが起点文学のほうでは目標文学のことを完全に無視している」。要するに、翻訳というのは、格下の文学が格上の文学を翻訳(輸入)して、進んだ思考や文化をお借りする(対外負債)ものだが、貸し方は借り方には頓着していない、という意味だ。この考え方も、本論が発表された当時は難なく首肯できたかもしれない。しかしその後、事情は変わりつつある。

モレッティの小説進化論でいえば「周辺」にあたる文学格下国ニッポンから、村上春樹なるハイパー世界作家が出たことや、北欧のミステリが各国で売れていることなども、その理由のうちだろう。言語的に最強のアメリカも、春樹の新作が出れば英訳したくて目の色を変える。また、アメリカには今、翻訳出版社が続々とできており、イギリスも英国連邦の本のみを対象にしていた権威あるブッカー賞をゆくゆくは「翻訳文学も分け隔てなく対象にしていきたい」と発表するなど、英米が「より小さな言語」を訳す意欲を見せている近年、訳される側も頓着しないわけがない。「英語に訳しやすいように意識して書く」作家がいるとかいないとか言われる昨今だ。

他、「文学の屠(と)場(じょう)」という章では、十九世紀の英国で幾多刊行された犯罪小説で、ホームズだけが生き残ったのはなぜなのか分析する。謎解きの手がかりの「有無」「必要性」「可視性」「解読可能性」という四段階で作品を振り分けていくのだ。映画の世界的な影響力をマッピングした「プラネット・ハリウッド」や、日本のライトノベルを遥(はる)かに凌(しの)ぐ長いタイトルの推移を分析した「スタイル株式会社」など興味深い。本書を深く理解し読者に伝えながら、同時に鋭い批判も放っている訳注やあとがきも示唆に富む。翻訳はつねに批評だと思い知る。(秋草俊一郎、今井亮一、落合一樹、高橋知之共訳)
遠読――〈世界文学システム〉への挑戦 / フランコ・モレッティ
遠読――〈世界文学システム〉への挑戦
  • 著者:フランコ・モレッティ
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(360ページ)
  • 発売日:2016-06-11
  • ISBN:4622079720
内容紹介:
少数の「正典」の「精読」で世界文学は語れるのか?膨大な数の小説をコンピュータ解析し進化論から文学史を論じる挑戦的比較文学論。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年7月17日

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