書評

『秋の花』(東京創元社)

  • 2018/05/29
秋の花 / 北村 薫
秋の花
  • 著者:北村 薫
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(268ページ)
  • 発売日:1997-02-16
  • ISBN-10:448841303X
  • ISBN-13:978-4488413033
内容紹介:
絵に描いたような幼なじみの真理子と利恵を苛酷な運命が待ち受けていた。ひとりが召され、ひとりは抜け殻と化したように憔悴の度を加えていく。文化祭準備中の事故と処理された女子高生の墜落死-親友を喪った傷心の利恵を案じ、ふたりの先輩である『私』は事件の核心に迫ろうとするが、疑心暗鬼を生ずるばかり。考えあぐねて円紫さんに打ち明けた日、利恵がいなくなった…。

母だからできること

北村薫さんの女子大生「私」を主人公とする推理小説は、多くのファンを持っている。私もそのひとりである。

勉強家で男の子みたいな「私」と、おだやかで、すばらしく頭の切れる中年の落語家「円紫さん」が二人で組んで、謎解きをする。

どの作品にも、成長にともなうさまざまなテーマが含まれているのだが、シリーズ三作めの長編『秋の花』(創元推理文庫)では、ラストの方に「許す」という言葉が出てきたのが、印象的だった。

「許す」は、ふだんはまず使うことがない語だ。

「突然、お手紙差し上げる失礼をお許し下さい」

「お許しいただければ、私の方からお宅に伺います」

くらいは書いたり、言ったりする。が、あくまで挨拶としてであって、そうした決まり文句以上の意味を持たせたことはない。

戦争もない、衣食足りた時代に生まれ、これといった事件にも巻き込まれず、ごくふつうに育ってきた私は、自分の存在をかけるような「許す、許される」の関係に立ち至ったことがないのが、現実である。

なので、物語の中の言葉葉は、私の日常生活にはない、重みをもって感じられた。

あらすじは次のようなもの。「私」の出身校である女子高で、文化祭の準備中、ひとりの生徒が死ぬ。屋上から転落して。自殺か、他殺か。遺書もなく、屋上には誰もいなかったことから、不可解な事故死とされる。

亡くなった少女の幼なじみは、その日から、魂の抜けた人となった。吹き降りの中、濡れて滴が服をつたうまでになっても、なおも佇(たたず)む。まるで自らを罰するように。

(ALL REVIEWS事務局注:以下、ネタバレあり)

文化祭に使う垂れ幕を、死んだ子が屋上から吊し、下の階から彼女が引っ張った。上ではちょうど、手すりから身を乗り出したときだった。目の前を落ちていった友だち。

罪の意識に苦しみ、真相を言えなかった自分を責め、雨の川に身を投げようとしたところを「私」と「円紫さん」が助ける。

ラストシーンは、ここからだ。二人は女の子を、死んだ子の母のところに連れていく。すべてを母に話した上で。母は黙って、濡れた服を脱がせ、裸の彼女を、バスタオルでくるんで、抱きとる。

「円紫さん」に「私」は問う。ここへ来たのは、彼女を許せるのは、死んだ子のお母さんだけだからですか、と。「円紫さん」は答える。自分なら、許すことは出来そうにない。ただ、

「救うことは出来る。そして、救わなければならない、と思います。親だから、余計、そう思います」

殺した相手の母の手によって、生まれたままの姿に戻るシーンは、「再生」を表し、象徴的だ。女の子の「死」からはじまった物語は、もうひとりの子の、あらたな「生」へつながろうとしている。ふたつの命をつなぐのは、母親だ。

母親もまた、真相を知ることで、先へ進めるのだろう。娘は自ら命を絶ったのではない、事故死だったのだと、知って。

二人が対面した部屋に、複製画が飾ってあったことが、ほんの二行ほど書かれている。夕暮れどき、針の穴に糸を通そうとする女性の絵、背景描写のように、さらりとふれてあるだけだが、この絵には、すごく意味がある。

夕暮れの針の穴は、暗くて見えにくい「狭き門」だ。糸を通そうとするのは、向こう側へ行こうとする「意志」の現れだ。わが子を殺した子どもとともに、「狭き門」を抜ける。その子にとっても、亡き子にとっても、母親にとっても、それが唯一の救済への道だから。

二人を残し、家を後にしようとする「円紫さん」と「私」を、外へ追ってきて、着替えさせた子のようすを告げる母。

「眠りました」

そのときの母の表情は、聖母像のようであっただろう。

困難を引き受ける、強くて静かな母の姿に、

(親だからできることって、あるのだな)

と思うと同時に、「円紫さん」が若い「私」に言った、

「あなたは、まだ人の親になったことがありません」

との言葉が、自分に向けられたかのように、妙に胸に響いたのだった。

【この書評が収録されている書籍】
本棚からボタ餅  / 岸本 葉子
本棚からボタ餅
  • 著者:岸本 葉子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:2004-01-01
  • ISBN-10:4122043220
  • ISBN-13:978-4122043220
内容紹介:
本の作者が意図していない所に「へーえ」、テーマにピンとこなくたって「なるほど」と感じたことはありませんか?思いつきで読んでみても得るモノはあるはず。恋に悩む時、仕事に行き詰まった時…偶々、解決のヒントを発見できたら大きなご褒美です。寝転ろんで頁をめくりながら「おまけがついてこないかな」と自然体?で構えてみませんか。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

秋の花 / 北村 薫
秋の花
  • 著者:北村 薫
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:文庫(268ページ)
  • 発売日:1997-02-16
  • ISBN-10:448841303X
  • ISBN-13:978-4488413033
内容紹介:
絵に描いたような幼なじみの真理子と利恵を苛酷な運命が待ち受けていた。ひとりが召され、ひとりは抜け殻と化したように憔悴の度を加えていく。文化祭準備中の事故と処理された女子高生の墜落死-親友を喪った傷心の利恵を案じ、ふたりの先輩である『私』は事件の核心に迫ろうとするが、疑心暗鬼を生ずるばかり。考えあぐねて円紫さんに打ち明けた日、利恵がいなくなった…。

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初出メディア

あけぼの(終刊)

あけぼの(終刊) 2000年7月

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