書評
『教養主義のリハビリテーション』(筑摩書房)
種としての人類が進化した原因は分業にある。しかし、分業によって個としての人間が幸福になったかといえば、むしろ逆で、分業によって人間は豊かな潜在可能性の多くを失い、むしろ不幸になった(疎外された)のではないか?これがマルクスの疎外論の出発点だった。
学問・研究の世界についても同じことが言える。分業は個別分野での研究を深化させることに貢献したが、全体を統括して新しい価値をクリエイトする総合的な人間というものを淘汰してしまった。統御系統を失った(特に日本の)学問・研究の世界は専門的なタコツボにはまり込んだまま、そのことに気づきもしない。文部科学省の繰り出す愚かな改革の数々はその悪しき傾向に拍車を駆けただけである。
この現状に義憤を感じた数少ない学者である大澤聡は、大正・昭和に溯って、「教養」という名の統御機構の総括を試みた。『批評メディア論』は大宅壮一・三木清・戸坂潤といった「教養制度」の確立を担った人物を中心とした意欲的研究だったが、その大澤聡が次に問題としたのは「失われた教養」をいかにして再建するかという課題であった。
なぜなら、出版・ジャーナリズムという活字中心の旧メディアはすでに電子媒体に王座を譲って久しく、「教養」がそのままでは再建しえないことは明らかだからである。しかも、ネット社会はタコツボ化どころか、アトム化を加速させ、「知の下方修正」と「歴史感覚の消滅」を招来しかねない状況になっている。
では、「教養」の前提であった読書という習慣行動が消滅しようとしている絶望的な状況において、いったいどのようにして「教養」を再建したらいいのか?
大澤聡はこの難問を解くために、流通している二つの教養論を分析してこれを背中合わせにして送り出したあとで、二十一世紀にふさわしい教養論というものを遠望する。
しかし、リハビリテーションには補佐役が必要となる。補佐役としてはリハビリテーションの方法論を独自に開発した人が望ましい。かくて選ばれたのが鷲田清一、竹内洋、吉見俊哉のが三氏で、教養のリハビリテーションはこの三人との対話という形式で進行してゆく。
まず鷲田清一氏が提起するのが、臨床哲学の実践体験から割り出した現場的教養というもの。つまり、それぞれケースに個別的に対応した経験から総合的に割り出されてくる「細々とした部分で働くメチエの集積」である。普遍的な理論でもパノラミックな教養でも解きえない「決定的な解決策のない課題」と対峙するには「メチエの集積」しかないという主張である。
これに対し、「教養主義」というテーマで社会学的な歴史研究を行ってきた竹内洋は、教養主義の没落は公共圏の拡大に伴い公分母が劣化し、知の下方修正が限りなく起こったことが原因であるとし、大学のタコツボ化の阻止と教養主義の復権には、どうしても、ある種のエリーティズムは不可欠と結論する。
ついで、日本におけるカルチュラル・スタディーズの導入者である吉見俊哉は、研究者のタコツボ化を防ぎ、しかも声高に叫ばれるようになった「文学部廃止論」に立ち向かうには、「無用の用」の論理で対抗しようとしても無駄で、文学部は一番役に立つという論法を組み立てなければいけないと主張する。短期目的の達成を目指す理工的な知に対し、「文系的な知は自分たちが当然視している価値を内在的に批判し、新たな価値を創造していく」からだ。そこから、大学改革は理系と文系のダブル専攻の方向で行わなければならないという具体案が提起され、さらに、文系のライブラリーと理系のラボラトリーを連結するようなハイブリッド図書館が構想されるが、そのデジタル・アーカイブを活用できるのは人間の想像力しかないとされる。
このように、大澤聡は、三氏との対話を通じて、教養のリハビリテーションを夢想するが、では、彼自身が導き出した結論はというと、意外や対話的教養とは「比喩」を上手く使える能力であるという。
そう、比喩というのは、一見異なったもの同士に類似を見抜きつつ、その類似をもとにして協同性を確保する最適な方法論の一つであり、うまい比喩を思いつけば、対話者の共感を得ると同時に己のドーダ心を満たすこともできる最高の自己表現なのである。
対話しながら、比喩の力を磨くこと。どうやら、教養の再建のカギはこのあたりにありそうである。
【『教養主義のリハビリテーション』特設サイト(筑摩書房)はこちら】
http://www.chikumashobo.co.jp/special/rehabilitation/
学問・研究の世界についても同じことが言える。分業は個別分野での研究を深化させることに貢献したが、全体を統括して新しい価値をクリエイトする総合的な人間というものを淘汰してしまった。統御系統を失った(特に日本の)学問・研究の世界は専門的なタコツボにはまり込んだまま、そのことに気づきもしない。文部科学省の繰り出す愚かな改革の数々はその悪しき傾向に拍車を駆けただけである。
この現状に義憤を感じた数少ない学者である大澤聡は、大正・昭和に溯って、「教養」という名の統御機構の総括を試みた。『批評メディア論』は大宅壮一・三木清・戸坂潤といった「教養制度」の確立を担った人物を中心とした意欲的研究だったが、その大澤聡が次に問題としたのは「失われた教養」をいかにして再建するかという課題であった。
なぜなら、出版・ジャーナリズムという活字中心の旧メディアはすでに電子媒体に王座を譲って久しく、「教養」がそのままでは再建しえないことは明らかだからである。しかも、ネット社会はタコツボ化どころか、アトム化を加速させ、「知の下方修正」と「歴史感覚の消滅」を招来しかねない状況になっている。
では、「教養」の前提であった読書という習慣行動が消滅しようとしている絶望的な状況において、いったいどのようにして「教養」を再建したらいいのか?
大澤聡はこの難問を解くために、流通している二つの教養論を分析してこれを背中合わせにして送り出したあとで、二十一世紀にふさわしい教養論というものを遠望する。
(新しい教養論とは)最新の知識をマニュアル化するハウツー路線でもなければ、教養の有無をパフォーマティブに確認しあう共同体路線でもない。そのどちらにも与しない路線の選択。つまり、教養の中身ではなく、それが成立する条件やフレームの点検作業をとおして足場を組みなおすこと。教養主義の性急なアップグレードでもリバイバルでもなく、じっくりリハビリテーションからはじめること。それがこの本のミッションだ。
しかし、リハビリテーションには補佐役が必要となる。補佐役としてはリハビリテーションの方法論を独自に開発した人が望ましい。かくて選ばれたのが鷲田清一、竹内洋、吉見俊哉のが三氏で、教養のリハビリテーションはこの三人との対話という形式で進行してゆく。
まず鷲田清一氏が提起するのが、臨床哲学の実践体験から割り出した現場的教養というもの。つまり、それぞれケースに個別的に対応した経験から総合的に割り出されてくる「細々とした部分で働くメチエの集積」である。普遍的な理論でもパノラミックな教養でも解きえない「決定的な解決策のない課題」と対峙するには「メチエの集積」しかないという主張である。
これに対し、「教養主義」というテーマで社会学的な歴史研究を行ってきた竹内洋は、教養主義の没落は公共圏の拡大に伴い公分母が劣化し、知の下方修正が限りなく起こったことが原因であるとし、大学のタコツボ化の阻止と教養主義の復権には、どうしても、ある種のエリーティズムは不可欠と結論する。
ついで、日本におけるカルチュラル・スタディーズの導入者である吉見俊哉は、研究者のタコツボ化を防ぎ、しかも声高に叫ばれるようになった「文学部廃止論」に立ち向かうには、「無用の用」の論理で対抗しようとしても無駄で、文学部は一番役に立つという論法を組み立てなければいけないと主張する。短期目的の達成を目指す理工的な知に対し、「文系的な知は自分たちが当然視している価値を内在的に批判し、新たな価値を創造していく」からだ。そこから、大学改革は理系と文系のダブル専攻の方向で行わなければならないという具体案が提起され、さらに、文系のライブラリーと理系のラボラトリーを連結するようなハイブリッド図書館が構想されるが、そのデジタル・アーカイブを活用できるのは人間の想像力しかないとされる。
このように、大澤聡は、三氏との対話を通じて、教養のリハビリテーションを夢想するが、では、彼自身が導き出した結論はというと、意外や対話的教養とは「比喩」を上手く使える能力であるという。
「対話的教養」は究極的にいえば、この比喩を運用する能力なんだと思います。(中略)他者にひらくことで自分も組み替わる。だからといって主体性の欠落を意味しません。
そう、比喩というのは、一見異なったもの同士に類似を見抜きつつ、その類似をもとにして協同性を確保する最適な方法論の一つであり、うまい比喩を思いつけば、対話者の共感を得ると同時に己のドーダ心を満たすこともできる最高の自己表現なのである。
対話しながら、比喩の力を磨くこと。どうやら、教養の再建のカギはこのあたりにありそうである。
【『教養主義のリハビリテーション』特設サイト(筑摩書房)はこちら】
http://www.chikumashobo.co.jp/special/rehabilitation/
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