書評

『経済成長という呪い: 欲望と進歩の人類史』(東洋経済新報社)

  • 2018/06/20
経済成長という呪い: 欲望と進歩の人類史 / ダニエル・コーエン
経済成長という呪い: 欲望と進歩の人類史
  • 著者:ダニエル・コーエン
  • 翻訳:林 昌宏
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 装丁:単行本(222ページ)
  • 発売日:2017-08-25
  • ISBN:4492315020
内容紹介:
人類は無限の欲望から逃れられないのか。ピケティ、アタリと並ぶ欧州を代表する知性による歴史的な観点から見た現代資本主義への警鐘

ポスト工業社会は存続しうるか

『21世紀の資本』の登場で、経済問題として所得分配の極端な偏りが注目を浴びるようになった。けれども人々の所得がそれなりに成長するなら、格差への関心は薄れるだろう。かつての中国は階級・階層間における激しい対立と紛争に明け暮れたが、この三十年間は労力を各人の経済活動に集中させてきた。格差は厳然として存在するにせよ、それぞれが働いただけ所得を伸ばすことができたからだ。そこで多くの国は経済政策として経済成長を優先している。

ところが近年、国全体として経済成長しても、階層によっては賃金が伸びないという現象が目立つようになった。これでは格差問題が再燃してしまう。また技術革新が生じても、雇用や成長にはつながりにくくなっている。それでは技術革新を経済成長の原動力として目標に据える意味がなくなってしまう。

著者はフランスを代表する経済学者で国家債務の専門家だが、人文社会科学の全域にも通じる。その該博な知識を駆使して本書で問うのが、「経済成長が停滞しても現代社会は存続しうるか」だ。

第一部においては人類学や歴史学、科学史を縦横無尽に引用し、科学技術の進歩が西洋においてのみ生じたという欧米中心の偏見を覆す。第二部では経済成長のメカニズムを経済学的に説明し、なぜ分野によって停滞が生じ始めたのかを論じる。第三部では、科学革命によって人類の精神にどんな変化が生じたのか、成長が失われれば世界が不安と不和に覆われるしかないのかを考察する。二百ページほどでこれだけ重大かつ壮大なテーマに筋道を通し簡潔に扱う手際の良さには感心させられる。

さて工業が中心であった頃、農業は衰退しても労働者は工業部門に移動でき、それぞれで一人当たりの生産性が高まったため全体は成長し雇用も確保された。しかもフォード社式生産様式においては働く動機付けとして賃上げが採用された。ところが経済の中心がデジタル技術に移った現在、グーグルやフェイスブック、ツイッター各社の社員数は自動車会社よりも遙(はる)かに少ない。技術革新が雇用と成長をもたらさなくなったのだ。

これはデジタル技術の特質だと著者は言う。工業技術は労働者を「補完」したから雇用と生産性が同時に伸びたが、デジタル技術は中間層のルーティーン仕事を「代替」し、労働者は下層のサービス業に溢(あふ)れてその賃金が低下する。ではサービス業はなぜ機械に代替されないのか。それはAIが「二歳児とサッカーする」たぐいの作業を不得意とするからだ。碁や将棋における数学的推論は高等に見えて最近の創造物であるのに対し、「感覚と運動の調整」は人類が進化の途上で数百万年をかけて修得した複雑なフォーマットによるから置き換えられないらしい。面白い。

ではポスト工業社会で成長が見込めないとして、これまでに達成した豊かさでなぜ満足できないのか。それはいくら豊かになっても新たな現状が基準となり、振り出しに戻るからで、幸福度は過去や隣人を基準として相対的に決まると言う。しかも将来に下がるかと不安になる。これはカーネマンらの行動経済学による指摘で、不和を避けるには同じ所得水準の隣人とのみつきあう「社会的族内婚」が拡(ひろ)がる。異質な隣人の「排除」が蔓延(まんえん)するわけだ。

だが著者の筆致は思いのほか楽観的。デンマークをはじめとする北欧諸国の幸福度が高いからで、そうした国の存在に救われる。提言は短いが、読者の省察を促すだろう。(林昌宏訳)
経済成長という呪い: 欲望と進歩の人類史 / ダニエル・コーエン
経済成長という呪い: 欲望と進歩の人類史
  • 著者:ダニエル・コーエン
  • 翻訳:林 昌宏
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 装丁:単行本(222ページ)
  • 発売日:2017-08-25
  • ISBN:4492315020
内容紹介:
人類は無限の欲望から逃れられないのか。ピケティ、アタリと並ぶ欧州を代表する知性による歴史的な観点から見た現代資本主義への警鐘

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年11月5日

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