書評

『食の歴史』(プレジデント社)

  • 2020/07/27
食の歴史 / ジャック・アタリ
食の歴史
  • 著者:ジャック・アタリ
  • 翻訳:林昌宏
  • 出版社:プレジデント社
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2020-02-27
  • ISBN-10:4833423618
  • ISBN-13:978-4833423618
内容紹介:
欧州最高峰の知性が徹底的に分析!食に関する歴史、未来を知れば、政治、社会、テクノロジー、地政学、イデオロギー、文化、快楽等も一挙にわかる。

米仏二極化する胃袋の未来

音楽・医学から時間・愛・死・地政学・テクノロジー、そして海まで。数え切れないテーマと膨大としか言いようのない知識で人間社会の未来を占ってきた碩学(せきがく)が、「食」を軸に過去を振り返り、進むべき道を訴える野心作。いわば胃袋が語る人類の通史である。

この密接な、宇宙的規模とさえ言える人間と食との関係は、実は猿人からホモ・サピエンスが漸進的に出現したときから始まった。この関係は、言語の使用から火の利用まで、人類のおもな急激な変化の源泉になった。……人間と食とのこうした関係からは、都市、帝国、国家の権力掌握の過程も広く説明できる。歴史と地政学は、何と言っても食の歴史なのだ。

「はじめに」でこう著者が述べる本書は、コンパクトな一冊に壮大なる社会史も展開している。食にかんする世界史的な出来事を次々に述べる文体だから、一見しただけでは豆知識の羅列に見えるかもしれない。たとえば乾燥パスタはイタリア生まれではなく、旅するアラブ商人が携行していたものがシチリア経由でイタリアに普及した。また医学博士ケロッグが神経を刺激せず性欲を減退させる目的で食べ物から味気を抜き取って開発したのがコーンフレークである(ミルクボーイの漫才はあながち無根拠なイヤミではないようだ)、等。それはそれで食指の動く小話だが、それ以上に見逃せないのが、こと食に関する限り、世界史はアメリカとフランスの二大勢力が描いてきたという強烈な自負だ。

本書は前半で、この自負通りフランス料理術に収斂するヨーロッパの食文化を紹介している。フランスの食文化は社会の礎として、食とともに会話を楽しむという社交を据える。文明の発祥以来、増え続ける人口を養うには、農業と牧畜で自然を手なずける必要があった。けれども定住化し富を蓄積するならば、外敵に襲撃される可能性が高まる。自衛するには、共同体で結束を固めねばならない。そこで権力者が饗宴を持ち、食事を振るまいながら活発に発言し、同胞を説得したというのだ。言葉による政治である。

これに料理法や味覚が加わる。ギリシアではパンとワインが定住文明の食とされたが、キリスト教が支配した中世では暴食に戒律が課せられた。それを打ち破ったのがアラブの商人で、アジアから持ち込んだ香辛料や砂糖を用いた独創的で洗練された料理は、ヨーロッパを魅了した。こうしてヴェネチアやジェノヴァが郷土料理に目覚め、冒険家が茶やコーヒーを含め世界中から食材を集めると、それらを集大成した美食術(ガストロノミー)がフランス料理に結実したという。

これに対しアメリカの資本主義は、食の目的を「会話」と「美味」から効率と栄養へと置き換えた。農産物は化学肥料や農薬を用いて育て、加工肉は工業的に製造すれば値が下がり、可処分所得に占める食費は少なくなる。しかも会話を控えれば食事時間は短くなる。そうして生まれた余裕は住居や衣服、交通や娯楽に回せる、というのだ。そのうえ工業的に製造された食品は「カロリー」において栄養価が高く、安全性も学者のお墨付き(といっても巨大食品企業が資金提供して論文を書かせるのだが)。こうして世界を席巻しているのが、スマホを眺めつつ黙って食べる「個食」である。

では食の未来は、両極のどちらに向かうのだろうか。著者の推測では、アメリカの極はAIにより予測され各自の嗜好に合った食事を黙々と済ませる方向に進む。好みを他者に伝える言葉までが消滅した食事である。他方、フランスの極では、より原点を目指し、地産地消の食材で自然とふれあい、会話で他者と交流する喜びを取り戻すべく、「食育」が重視される。いまやフランス的な食といっても少数派だからだ。著者はもちろんフランスを良しとするのだが、それには理由がある。

現在のスピードで世界人口が増え、それでもみながアメリカ的な食生活を続けるならば、やがて化学肥料や農薬で土壌は壊滅、長い流通経路で地球温暖化ガスの排出も限界を超え、過剰なカロリーは死に至る肥満、安全性の怪しい食品は病気をもたらすだろうからだ。

さてそうなると、和食はどう評価されるのか。第十章で著者が展開する主張からすれば、答えは「ノン」だろう。というのも日本では、伝統的な発酵食品を分析して作り出したアミノ酸やグルタミン酸、イノシン酸等からジャンク・フードが工業的に製造され、スーパーの食品売り場を埋め尽くしている。食品添加物が入らない漬け物を探すにも一苦労させられる。農産物の栽培についても、「有機栽培製品の利用を増やす」、「(除草剤ラウンドアップの成分である)グリホサートなど、毒性が証明された化学物質の利用を減らす」、「消滅寸前の種子を保存する」といった要望が満たされているとは、とても言えない。

それだけに、こと食について頑なに反米を掲げるフランスは心強い存在である。本書はそんなフランスの食を巡る思想を語り尽くしている。
食の歴史 / ジャック・アタリ
食の歴史
  • 著者:ジャック・アタリ
  • 翻訳:林昌宏
  • 出版社:プレジデント社
  • 装丁:単行本(384ページ)
  • 発売日:2020-02-27
  • ISBN-10:4833423618
  • ISBN-13:978-4833423618
内容紹介:
欧州最高峰の知性が徹底的に分析!食に関する歴史、未来を知れば、政治、社会、テクノロジー、地政学、イデオロギー、文化、快楽等も一挙にわかる。

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毎日新聞 2020年5月23日

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