国家の「民族的な均質性」や「文化的な均質性」という、きわめてセンシティブなテーマについて再度言及することをお許しいただきたい。これらの言葉は日本の孤立した移民政策を正当化する際にしばしば引用される。この論証は、国家の社会的な結束を確保する唯一の手段は均質性だという考えに基づいているのだろう。私は思わず世界屈指のオーケストラであるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の、かつての採用政策を想起してしまう。数十年間にもわたって、オーケストラの結束と豊かな音質を維持するには、女性を除外して楽団員を募集しなければならないという理屈がまかり通っていたのだ。これらのオーケストラが女性の楽団員の採用も認める人材の多様化を余儀なくされると(あらゆる種類の差別的な採用を避けるために、ついたての背後でコンクールを行なう必要があった)、この理屈はあっさりと崩壊した。女性楽団員の存在(まだ少数だが)のせいでオーケストラの結束力が失われ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の質が落ちたと主張する者は存在するだろうか。オーケストラは社会の隠喩である。重要なのは、楽団員の出自ではなく合奏する能力であり、演奏の質、各編成の結束力(あるいはオーケストラ全体)、指揮者の才能である。
日本を訪れる西洋の観察者は、移民の増加は国の文化的な均質性にとって有害だという論証に驚愕する。日本に到着したその日から日本文化の影響力に魅了されるのだ。洗練された文字、都市部の美しい景観、儀式化された対人関係、質の高い学校教育など、日本文化の影響力はいたるところに絶えず現われている。これまでにも日本文化は、明治時代や進駐軍の支配という衝撃を乗り越えてきた。過去にはそのようなレジリエンスを発揮し、現在では世界中の人々が憧れる影響力を誇る威信ある日本文化が、移民の人口に占める割合が二%でなく一〇%になったからといって脅かされるようなことがあるのだろうか。さらに言えば、移民の大部分は中華圏からやってくる人々である。私の頭には、フランスについてもまったく同じ疑問がよぎる。フランスでは、移民を標的にして商業的な成功を収めた書籍には、『フランスの自殺行為』、『フランスのメランコリー』、『不幸なアイデンティティ』、『心神喪失状態のフランス』などの否定的なタイトルが付けられている。国の凋落と愛国心の低下を嘆くこれらのエッセイの著者は、決して存在しなかった世界を夢みる。すなわち、移民のいない世界である。しかし、彼らはおかしなことに、自分たちがあれほど危惧する凋落が起きることを願う。なぜなら、自身の予言が正しかったことを証明したいからだ。結局のところ彼らは、移民の受け入れおよび統合から生じる困難を乗り越える能力はフランスにはないという憐れなイメージを流布しているにすぎないのだ。
私はフランスの「凋落主義」や敗北主義という思考に対する驚きを表明しながらも、移民に関する日本の状況が想像以上に複雑であることを承知している。そのことを象徴するエピソードとして、台湾や朝鮮半島から徴用されて第二次世界大戦終結まで日本で暮らした二五〇万人の植民地出身者に対する政策が挙げられる。戦後、彼らの大半は帰国した。そして一九五二年に進駐軍の占領が終わると、旧植民地の人々が日本に再び訪れるのを阻止するために厳格な国境管理体制を敷いた。一方、フランスのポスト植民地政策の様相はまったく異なる。フランス人は自国が植民地をもったという過去を否定しようとせず、とくにフランス企業は、一九五〇年代から六〇年代にかけて経済復興を確かなものにして(一九七四年の石油ショックまで)経済成長を下支えするための労働力を必要とした。だからこそ、フランス企業はフランス本土へ向かうアルジェリア移民を後押ししたのである。こうして、大量の移民が自動的にフランスに押し寄せる経路が開かれたのだ。
したがって、どの国にも固有の歴史があり、歴史は消し去ることができない。だが、歴史という基盤にこそ、各人は自身の剏意から抱く信条によって未来を築くのであり、こうした未来には新たな世界観が組み込まれる。すなわち、国際移民は今後日常的な出来事になる、人権は絶対的な価値である、移民を否定するのではなく「移民とともに暮らす」必要があるという世界観である。これらの点に関して私は、日本とフランスの研究者が互いに切磋琢磨して両国の公的な討論を有意義なものにするために尽力するだろうと確信している。
[書き手]フランソワ・エラン(コレージュ・ド・フランス教授/社会学、人口統計学)