書評

『硬きこと水のごとし』(河出書房新社)

  • 2018/07/04
硬きこと水のごとし / 閻 連科
硬きこと水のごとし
  • 著者:閻 連科
  • 翻訳:谷川 毅
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(355ページ)
  • 発売日:2017-12-22
  • ISBN-10:4309207367
  • ISBN-13:978-4309207360
内容紹介:
文化大革命の嵐が吹き荒れる中、愛と革命の夢を抱く男女が旧勢力と対峙する。ノーベル賞候補と目される作家の魔術的リアリズム巨篇。

小説的言語の限界への挑戦

耙耬(はろう)山脈の山あいには程崗鎮(ていこうちん)という小さな村がある。貧しい農家出身の高愛軍は高校卒業後に村の有力者の娘と結婚し、まもなく従軍した。毛沢東思想の熱狂的な信奉者で、文化大革命が起きると、ただちに復員して村で革命を起こそうとした。彼はまず、義理の父を権力の座から追い落とし、それが実現すると、今度は県長、市長、省長へと登って行く夢を見て、壮大な計画を立てた。文化大革命の追い風もあって、彼は政治的野心の階段を一気に駆け上っていった。

一見、ありきたりの「文革批判」小説のようだが、なかなか一筋縄ではいかない仕掛けになっている。村落共同体の生活や人間模様について、写実とも思える描写がある一方、誇大妄想的な物語展開や荒唐無稽(むけい)の語りも多く混在している。

ひと際目を惹(ひ)くのは破天荒な文体である。ほとんどの言葉は先行テクストを踏まえたもので、文革のスローガン、革命映画や模範劇のせりふ、革命歌の歌詞から政治家の名言、ことわざや古典の名文句など、何でもありだ。しかも、ただの引用ではない。もじりがあり、語呂合わせがあり、替え歌があり、言葉遊びもある。中国人でも文化大革命を経験していなければ、その滑稽と辛辣(しんらつ)さがわからないであろう。

あえて例えるならば、『ドン・キホーテ』の文革版とでも言えよう。高愛軍は根っからの農民で、毛沢東の革命理論を心から信じていた。革命のレトリックに魅せられ、現実と物語の境が徐々にわからなくなる。その蛮勇ぶりも、「井の中の蛙(かわず)」式の世界認識もドン・キホーテとそっくりだ。数々の「名言」ならぬ「迷言」を残した点でも軌を一にしている。

ただ、本物のドン・キホーテと違って、高愛軍には毛沢東という、空想を現実に変えてくれる後ろ盾がいる。風車と戦ったドン・キホーテは撥(は)ね返されて、痛い目に遭うが、高愛軍は撥ね返されることも、めった打ちにされることもない。それどころか、一路邁進(まいしん)で、無謀な冒険は次々に成功する。

高愛軍のドゥルシネーアは空想の貴婦人ではない。夏紅梅という、村に実在する美女だ。この謎めいた人物との奇妙な出会いは、村に戻った初日に奇跡的に起きた。紅梅は端麗な容姿の持ち主で、およそ農村の女性とは思えないほど気品があり、文才に恵まれ、革命的な情熱に溢(あふ)れている。ただ、彼女は人妻で、しかも義理の父親は引退した実力者だ。にもかかわらず、高は奇想天外な行動を起こし、不倫の愛を成就させようとする。しかし、彼を待っていたのは思いもよらない落とし穴である。

語られているのは、言葉と本能の逆転である。革命の大義名分が愛欲のみ目指しており、主人公は大音量の革命の歌を聞かないと、性的不能になる。かりに文体の破綻、支離滅裂の表現が、小説の言語が意味という牢獄(ろうごく)から解き放たれたことを象徴しているならば、革命の旋律が性的不能の特効薬になるという設定はここで一つの隠喩となり、痛烈な諷刺(ふうし)となる。

だが、本当の魅力は何といっても小説的言語の限界への挑戦であろう。人物造型にしろ、情景描写にしろ、譬喩(ひゆ)にしろ、誇張にしろ、意表をつく言語表現の技巧は次々と繰り出されている。突飛な連想や分裂的な言語展開は周到に計算された結果というより、作家の中から自然に溢れ出たものであろう。その点において、作家は前人未到の言語実験を敢行したと言える。そして、ほとんど翻訳不能な作品をなめらかな日本語に直した訳者の挑戦には素直に拍手を送りたい。(谷川毅訳)
硬きこと水のごとし / 閻 連科
硬きこと水のごとし
  • 著者:閻 連科
  • 翻訳:谷川 毅
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(355ページ)
  • 発売日:2017-12-22
  • ISBN-10:4309207367
  • ISBN-13:978-4309207360
内容紹介:
文化大革命の嵐が吹き荒れる中、愛と革命の夢を抱く男女が旧勢力と対峙する。ノーベル賞候補と目される作家の魔術的リアリズム巨篇。

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毎日新聞

毎日新聞 2018年2月4日

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