書評
『ブタをけっとばした少年』(新潮社)
トム・ベイカーという変な俳優のことをご存じありませんか?
編集部の方からそう尋ねられて、どうも聞いたことのある名前だと思った。なんでもパゾリー二のフィルムに出演したことがある、アイルランド系イギリス人だという。
パゾリー二でイギリスといえば、彼が1972年に撮った『カンタベリー物語』に決まっている。念のためヴィデオで確かめてみると、出てた、出てた、それもこの中世説話集のなかでもとりわけ猥褻で有名なバースの女房の話に、出演しているではないか。ベイカーはここで、いい体格はしているが真面目を絵に描いたような学生に扮している。その裸を垣間見た好色な中年女(ラウラ・ベッティ)が、なんと五度目の結婚を彼としようと試みるが、初夜の床でも書物を放さず、眼を見開いて「キリストと十字架にかけて」とか、ブツブツ眩いている。そこで女房は思い余って書物を引き千切り、ついでに新夫の鼻に齧りついてしまう。もじゃもじゃとした頭に金壷眼、肉体と観念の相剋とやらを演じさせたらいかにも適役といった、みごとな道化ぶりを示していた。
自伝を読んでみると、この人、リヴァプールの貧しいアイルランド人社会に、1930年代前半に生まれている。リヴァプールは日本でいうならば、さしずめ下関だろう。同じアイルランド系でこの町に生まれた者にビートルズのジョン・レノンがいるが、レノンの方が数年若い。もっともベイカーの自伝を読むかぎり、この二人にはブラックユーモアと癖のあるノンセンスぶりという点で、ずいぶん共通点があるように思われる。「ぼくの野心とは孤児になることであった」。一体、こんな意表を突いた一行から自分の生涯を語り始める人間がいるだろうか? しかも信じられないことに、ベイカーは俳優としてパゾリーニの作品に出る前には、カトリックの修道士であった! アイルランド人にはべケットやらフラン・オブライエンといったふうに、煮ても焼いても食えない道化的想像力に長けた作家がゾロゾロいるのだが、どうやらベイカーにも同様の血が流れているようである。
『ブタをけっとばした少年』は、そのベイカーが執筆した童話である。いや、童話などといったのどかなものではない。より正確にいえば、子供を怖がらせるために書かれた不条理小説であるというべきだろう。読み出してみて、これはまず親戚の子供にお誕生日の贈物に送ったりしたら、あとで大変なことになるぞと了解した。
まず主人公の名前が振るっている。ロバート・カリガリである。こんな名字が本当に実在するのか、わたしは寡聞にして知らないが、ここで当然のように連想されるのはドイツ表現派の著名な怪奇映画『カリガリ博士』だろう。次にトランシルヴァニア出身のボリスという奇妙な人物が出てきて、出てくるとただちに死んでしまう。ここでもわたしは、往年の怪奇映画のスターだったボリス・カーロフを思い出さないわけにはいかない。
ここで物語の内容に立ち入ってもいいのであるが、やはりこれから実際に書物を手に取られる読者のことを考えて、それは控えておいた方がいいのかもしれない。とにかく主人公は悪魔の申し子のような少年で、盲人を、トラックがビュンビュン走っている道路の前に連れ出してみたりすることなど序の口、恐ろしい悪戯のかぎりを尽くした後で、呪われた運命に見舞われるとだけいっておくことにする。これがエドワード・リアやルイス・キャロルのライトヴァースに近い、不思議なノンセンスの風味を湛えていることは指摘しておきたい。もちろん先に名を言及したジョン・レノンの詩や散文がこの系譜に連なっていることは、いうまでもない。
最後に挿絵のことについて、触れておきたい。この本の面白さの半分は、実はそこにあるかもしれないからだ。毒にも薬にもならない現実逃避のファンタジー文学に飽食気味の読者には、うってつけの作品だといえるだろう。
【この書評が収録されている書籍】
編集部の方からそう尋ねられて、どうも聞いたことのある名前だと思った。なんでもパゾリー二のフィルムに出演したことがある、アイルランド系イギリス人だという。
パゾリー二でイギリスといえば、彼が1972年に撮った『カンタベリー物語』に決まっている。念のためヴィデオで確かめてみると、出てた、出てた、それもこの中世説話集のなかでもとりわけ猥褻で有名なバースの女房の話に、出演しているではないか。ベイカーはここで、いい体格はしているが真面目を絵に描いたような学生に扮している。その裸を垣間見た好色な中年女(ラウラ・ベッティ)が、なんと五度目の結婚を彼としようと試みるが、初夜の床でも書物を放さず、眼を見開いて「キリストと十字架にかけて」とか、ブツブツ眩いている。そこで女房は思い余って書物を引き千切り、ついでに新夫の鼻に齧りついてしまう。もじゃもじゃとした頭に金壷眼、肉体と観念の相剋とやらを演じさせたらいかにも適役といった、みごとな道化ぶりを示していた。
自伝を読んでみると、この人、リヴァプールの貧しいアイルランド人社会に、1930年代前半に生まれている。リヴァプールは日本でいうならば、さしずめ下関だろう。同じアイルランド系でこの町に生まれた者にビートルズのジョン・レノンがいるが、レノンの方が数年若い。もっともベイカーの自伝を読むかぎり、この二人にはブラックユーモアと癖のあるノンセンスぶりという点で、ずいぶん共通点があるように思われる。「ぼくの野心とは孤児になることであった」。一体、こんな意表を突いた一行から自分の生涯を語り始める人間がいるだろうか? しかも信じられないことに、ベイカーは俳優としてパゾリーニの作品に出る前には、カトリックの修道士であった! アイルランド人にはべケットやらフラン・オブライエンといったふうに、煮ても焼いても食えない道化的想像力に長けた作家がゾロゾロいるのだが、どうやらベイカーにも同様の血が流れているようである。
『ブタをけっとばした少年』は、そのベイカーが執筆した童話である。いや、童話などといったのどかなものではない。より正確にいえば、子供を怖がらせるために書かれた不条理小説であるというべきだろう。読み出してみて、これはまず親戚の子供にお誕生日の贈物に送ったりしたら、あとで大変なことになるぞと了解した。
まず主人公の名前が振るっている。ロバート・カリガリである。こんな名字が本当に実在するのか、わたしは寡聞にして知らないが、ここで当然のように連想されるのはドイツ表現派の著名な怪奇映画『カリガリ博士』だろう。次にトランシルヴァニア出身のボリスという奇妙な人物が出てきて、出てくるとただちに死んでしまう。ここでもわたしは、往年の怪奇映画のスターだったボリス・カーロフを思い出さないわけにはいかない。
ここで物語の内容に立ち入ってもいいのであるが、やはりこれから実際に書物を手に取られる読者のことを考えて、それは控えておいた方がいいのかもしれない。とにかく主人公は悪魔の申し子のような少年で、盲人を、トラックがビュンビュン走っている道路の前に連れ出してみたりすることなど序の口、恐ろしい悪戯のかぎりを尽くした後で、呪われた運命に見舞われるとだけいっておくことにする。これがエドワード・リアやルイス・キャロルのライトヴァースに近い、不思議なノンセンスの風味を湛えていることは指摘しておきたい。もちろん先に名を言及したジョン・レノンの詩や散文がこの系譜に連なっていることは、いうまでもない。
最後に挿絵のことについて、触れておきたい。この本の面白さの半分は、実はそこにあるかもしれないからだ。毒にも薬にもならない現実逃避のファンタジー文学に飽食気味の読者には、うってつけの作品だといえるだろう。
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