書評
『ブタをけっとばした少年』(新潮社)
新しい海外文学を紹介するシリーズ〈クレスト・ブックス〉の健闘ぶりといい、『ブルーノ・シュルツ全集』の刊行といい、ここ数年の新潮社は頑張っていると思う(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)。わたしのような海外文学ファンのくせして語学音痴という読者にとっては、大手出版社のこうした攻めの姿勢はありがたい限りなのだ。
攻めの姿勢とは、すなわちトム・ベイカー『ブタをけっとばした少年』のような本を翻訳出版する英断を指す。トム・ベイカー、誰、それ? ってなもんでしょ。あとがきによれば、BBC制作の人気SFドラマの主役に抜擢され大成功した役者とのこと。あ、そっ、つまり『窓ぎわのトットちゃん』でベストセラーを飛ばした黒柳徹子みたいな、文章も書ける人気タレントってわけなんて思い早まってはいけない。トットちゃんとこの小説の主人公ロバート・カリガリくんの間には、ちびまる子ちゃん(さくらももこ)とにゃーこちゃん(ねこぢる)の間を隔てるそれと同じくらい、深~いクレバスが横たわっているのだからして。
カリガリ少年は人間が大っ嫌い。姉のブタの貯金箱をフットボールよろしく外に蹴り出した結果起こった大混乱に大喜びしている程度なら、単なるイタズラ小僧ですんでいたものを、悪意はエスカレートする一方。「にっこり笑って人を殺(や)る」をモットーに、交差点で目の見えない老人に親切を装ってウソの誘導をし、トラックに礫かせてしまったり、姉の食べ物に少量の除草剤を入れ続けたりと、まさに恐るべき子供(アンファンテリブル)の本領発揮。そしてついに、時々頭の中で聞こえる"神秘の声"に命じられるまま、凄まじい悲劇を引き起こしてしまうのだ。殺傷能力のある弓で乗馬中の女性に向かって矢を放つものの、狙いがハズれて馬の尻にズブリ。様々な連鎖反応の末、なんと二〇〇名以上もの死亡者を出す惨劇に発展。おまけにカリガリ少年の身にも想像を絶するような……。
実に陰惨な物語なんである。最近、連続殺人を犯すような人間には脳内物質の分泌のありように生まれながらの異常があるなんて怖ろしい仮説が発表されたけれど、トム・ベイカーもまたそれを支持しているのか、と思えてくるほどカリガリ少年の精神世界は救いがたくグロテスクなのだ。でも、一方で彼はこの世界の歪(いびつ)さを激しく憎む者でもある。罪もないホオジロザメを捕まえて殴り殺したり、穏やかな子供をいじめの標的にしたり等々、人間社会の残虐性や矛盾を憎悪する潔癖さがカリガリ少年をグロテスクな生き物にしたのだとすると、まさに純粋な心は諸刃の剣ではないか。
なんて、堅いことを書いてしまったけれど、この寓話ホラーともいうべき問題作は、決してひとつの読み方を強制するものではない。スラップスティックな残酷譚として楽しむもよし、横溢するブラックユーモアに笑うもよし、暗いくせにファニーな魅力をたたえた挿し絵に感心するもよし。いかようにも楽しめる本なのだから。それにしても日本では無名の作家の、しかも決して読み心地がいいとはいえない本を翻訳してくれるとは。攻めてるね、新潮社。
【この書評が収録されている書籍】
攻めの姿勢とは、すなわちトム・ベイカー『ブタをけっとばした少年』のような本を翻訳出版する英断を指す。トム・ベイカー、誰、それ? ってなもんでしょ。あとがきによれば、BBC制作の人気SFドラマの主役に抜擢され大成功した役者とのこと。あ、そっ、つまり『窓ぎわのトットちゃん』でベストセラーを飛ばした黒柳徹子みたいな、文章も書ける人気タレントってわけなんて思い早まってはいけない。トットちゃんとこの小説の主人公ロバート・カリガリくんの間には、ちびまる子ちゃん(さくらももこ)とにゃーこちゃん(ねこぢる)の間を隔てるそれと同じくらい、深~いクレバスが横たわっているのだからして。
カリガリ少年は人間が大っ嫌い。姉のブタの貯金箱をフットボールよろしく外に蹴り出した結果起こった大混乱に大喜びしている程度なら、単なるイタズラ小僧ですんでいたものを、悪意はエスカレートする一方。「にっこり笑って人を殺(や)る」をモットーに、交差点で目の見えない老人に親切を装ってウソの誘導をし、トラックに礫かせてしまったり、姉の食べ物に少量の除草剤を入れ続けたりと、まさに恐るべき子供(アンファンテリブル)の本領発揮。そしてついに、時々頭の中で聞こえる"神秘の声"に命じられるまま、凄まじい悲劇を引き起こしてしまうのだ。殺傷能力のある弓で乗馬中の女性に向かって矢を放つものの、狙いがハズれて馬の尻にズブリ。様々な連鎖反応の末、なんと二〇〇名以上もの死亡者を出す惨劇に発展。おまけにカリガリ少年の身にも想像を絶するような……。
実に陰惨な物語なんである。最近、連続殺人を犯すような人間には脳内物質の分泌のありように生まれながらの異常があるなんて怖ろしい仮説が発表されたけれど、トム・ベイカーもまたそれを支持しているのか、と思えてくるほどカリガリ少年の精神世界は救いがたくグロテスクなのだ。でも、一方で彼はこの世界の歪(いびつ)さを激しく憎む者でもある。罪もないホオジロザメを捕まえて殴り殺したり、穏やかな子供をいじめの標的にしたり等々、人間社会の残虐性や矛盾を憎悪する潔癖さがカリガリ少年をグロテスクな生き物にしたのだとすると、まさに純粋な心は諸刃の剣ではないか。
なんて、堅いことを書いてしまったけれど、この寓話ホラーともいうべき問題作は、決してひとつの読み方を強制するものではない。スラップスティックな残酷譚として楽しむもよし、横溢するブラックユーモアに笑うもよし、暗いくせにファニーな魅力をたたえた挿し絵に感心するもよし。いかようにも楽しめる本なのだから。それにしても日本では無名の作家の、しかも決して読み心地がいいとはいえない本を翻訳してくれるとは。攻めてるね、新潮社。
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