書評

『類推の山』(河出書房新社)

  • 2018/07/08
類推の山 / ルネ・ドーマル
類推の山
  • 著者:ルネ・ドーマル
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(243ページ)
  • 発売日:1996-07-01
  • ISBN:4309461565
内容紹介:
はるかに高く遠く、光の過剰ゆえに不可視のまま、世界の中心にそびえる時空の原点-類推の山。その「至高点」をめざす真の精神の旅を、寓意と象徴、神秘と不思議、美しい挿話をちりばめながら描き出したシュルレアリスム小説の傑作。"どこか爽快で、どこか微笑ましく、どこか「元気の出る」ような"心おどる物語。

ルネ・ドーマル(Rene Daumal 1908-1944)

フランスの作家。シュルレアリスムの影響下で青年期をすごし、同人誌〈大いなる賭〉の若い詩人集団の一員として、年長のシュルレアリストたちと交流。やがてその活動から遠ざかり、グルジエフの流れをくむ神秘思想に傾倒する。詩集『反-天空』(1935)を上梓したころは、インドや東洋の文学・思想の紹介に取り組んでいた。『類推の山』はドーマルの遺稿であり、未亡人と旧友アンドレ・ロラン・ド・ルネヴィルによる整理を経て、1952年に刊行された。

introduction

『類推の山』の邦訳は、最初《小説のシュルレアリスム》という叢書に収められ、ぼくはその本を古本屋で手に入れて読んだ。貧乏学生には新刊ハードカバーは高嶺の華だったのだ。《小説のシュルレアリスム》は全十二巻というささやかなまとまりながら、内容は驚くほど濃い。本書でもこの叢書から四冊を取りあげているのだから、いかにぼくが影響を受けたかおわかりいただけよう。ところで、シュルレアリスムというと、ほとんどのかたはサルバドール・ダリやルネ・マグリットなどの絵画を思いうかべるのではないか。彼らの絵は、むずかしい講釈などなくとも、ひとめでその面白さがわかる。シュルレアリスムの小説もそうだ。読めばわかる。なにが書いてあるのかはわからないこともあるけれど、面白いことはわかる。なかでも『類推の山』は面白さナンバーワンだ。

▼ ▼ ▼

ある山の物語。語り手は世界各地に残る神話的伝承を渉猟し、その山を“発見”する。彼が到達した結論はこうだ。

自然によってつくられたありのままの人間にとって、その峰は近づきがたく、だがその麓は近づきうるのでなければならない。それは唯一であり、地理学的に実在しているはずだ。不可視のものの門は可視でなければならない。

その山は〈類推の山〉と名づけられる。実在が確認される前に、象徴として同定された山ということだ。じつを言えば、語り手自身、この山の実在を信じていたわけではない。象徴学と登山という、彼のなかにあったふたつの関心が結びついて生れた、文学上の空想だったのである。ところが、〈類推の山〉の記事が雑誌に掲載されたあとしばらくして、ひとりの男が手紙をよこす。「これで、あの山の実在を確信する人間がふたりになった」と。

手紙の主はピエール・ソゴル。発明家にして登山教授、世界中を歩き、ありとあらゆる宗派や神秘教団を歴訪してきた人物である。ソゴルの雄弁と情熱に、語り手も巻きこまれてしまう。かくしてふたりが中心となり、〈類推の山〉への探査隊が組織される。いざ、前人未到の峰へ。いざ、天と地を結ぶ絆を求めて。

この小説『類推の山』の扉には、「非ユークリッド的にして、象徴的に真実を物語る、登山冒険小説」と記されている。非ユークリッド的という形容は、この山の「近づきがたい峰」と「近づきうる麓」の関係を比喩しているようでもあり、主人公たちがたどる(直線ならざる)行程の暗示のようでもある。あるいは、高くそびえる山がいままで人の目にふれずにいた、そのからくりのことかもしれない。ソゴルは探査隊の仲間に、この山が不可視である理由を、日蝕の際に確認された光の彎曲現象を引いて説明する。すなわち、山の周囲で空間の歪みが生じているのだ。彼はさらに大胆な仮説を立て、〈類推の山〉の位置を見つけだす。

ソゴルが次々に繰りだす奇妙な論理も楽しいが、探査隊が航海に出てから(もちろん〈類推の山〉は洋上にある。かくも巨大な山が既知の大陸にあるはずがない)語られる奇天烈なエピソードがなんとも愉快だ。高い山頂からの眺望は超自然的な外観をおびていて、それが人間の精神にはげしい影響を与えるという議論。長い遠征のために考案された「携帯用野菜畑」についての蘊蓄。遠い国の高山地方の伝承「空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語」。人の思考を測定する独創的な実験。〈類推の山〉の沿岸にひしめく、ありとあらゆる時代の船(呆れたことに、すでに多くの人間がこの山の所在をつきとめていたのだ。その末裔たちが麓に都市を築いている)。そして山の奇態な動植物相。……こうした逸脱と饒舌は、あのパンタグリュエルの航海を髣髴とさせる。もっともラブレーの奇想がとどまるところなく、いくえにも広がっていくのに対し、ドーマルのそれは逸脱と見せかけながら、一点の高みへと収斂していく。

ドーマルは若くしてシュルレアリスムの活動を開始したが、のちに神秘主義に接近し、舞踏・禁欲・精神集中などの訓練を積んだ。とくに登山は彼にとって修行の重要な一環であったという。『類推の山』も、アルプスの街に逗留していた彼が、「登山の代用ではなく、それ自体が登山であるような」小説として書きはじめられた。つまりこの物語は、世界最高峰をめざす波乱万丈の冒険譚であると同時に、至高の域へと上昇する精神の軌跡でもある。

探査隊のメンバーはもともと浮き世ばなれした連中ばかりだったが、山を前にしてさらに超俗的な境地に達する。そのありさまを語り手は、こう表現する。「私たちはめいめいの古い人格を脱ぎすてはじめていたのだ。私たちはまた、芸術家や、発明家や、医者や、学者や、文学者としての自分を捨てさる用意をしていたのだ。めいめいの変装のしたから、男たち、女たちは、すでに自分のほんとうの顔をのぞかせつつあった」。

そして〈類推の山〉にまつわる種々の規律が、彼らがたどるべき“道”を示す。そのなかには、ごく日常的な規範もあれば、神秘めいた因習もあり、麓の住民たちによって制度化されているものもあれば、山を登るうちに暗黙に了解されるものもある。たとえば、旅人たちは麓の住人の援助によって装備を整えるのだが、その負債は山で見つかる結晶ペラダンで返済されるならわしだ。ペラダンを採取できなかったものは、下界での退屈な仕事に従事することになる。また、第一の宿営地に達した探査隊に、これより先はいっさいの狩りが禁止されている旨が申しわたされる。山の複雑な生態系のバランスを崩すと、とてつもない厄災が引き起こされるというのだ。

〈類推の山〉の規律のなかでもっとも奇妙なものは、登山者どうしの伝達だろう。峰をめざす者は、山小屋を離れる前にひとつ下の山小屋に戻り、後続の登山者に知識を伝えなければならない。いただきにむかってまっすぐ突きすすむことはできないのだ。だいいち「その峰は近づきがたい」というのが〈類推の山〉の本質だとすれば、主人公たちが赴こうとしているのは、無限の行程ではないか。

作者の構想には、おそらく帰路のことなど端から含まれてなかったのだ。事実、〈類推の山〉への登山は、ドーマルにとっても帰路のない旅となった。彼は、この作品を完成させることなく没したのである。きっと彼の精神だけが、性急にいただきへと駆けのぼっていったのだろう。物語の途中にとりのこされたぼくらは、予定されていた最終章の標題「で、あなたは、いったい何を探し求めているのか?」をよすがに、〈類推の山〉の傾斜を思うばかりだ。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN:4860110668
内容紹介:
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類推の山 / ルネ・ドーマル
類推の山
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