書評
『語りつぐ田中正造―先駆のエコロジスト』(社会評論社)
五千二十通の手紙
田中正造は天保十二年に生まれ、『栃木新聞』を創刊し、自由民権運動に参加、第一回総選挙で衆議院議員となり、足尾鉱毒問題に生涯を捧げ、無一文で野垂れ死にした。『語りつぐ田中正造ー先駆のエコロジスト』(田村紀雄・志村章子編、社会評論社)は田中正造研究会の人々が、やはり彼に真摯な関心をもつ人々を訪ね歩いた聞き書き。といってもインタビュー集にありがちな浅薄さは毛ほどもない。問題を共有し響きあうのに、こうした形式がまさに必然であったことを感じさせる。
それは、ただ一つの著書も残さなかった正造の方法でもあり、また義民として正造を声高に語るのでなく、最後まで「下野の百姓」として生きた人を、民衆の中に語りつぐ方法でもあろう。
いくつもの印象的な言葉がある。
「正造さんが勝ち戦さをやって有名な人で晩節をまっとうしたなら衝撃感を人々に与えないのではないか」(宮本研)
「幸徳秋水はえらくなるつもりだったが、正造はえらくなる必要はなかった」(フレッド・ノートヘルファー)
「田中正造にとっての国とは土地とそこに生活してきた人間の歴史であった」(西野辰吉)
「正造の死に『おしまいになりました』といった妻カツの献身をいままで近代以前として切り落としていた」(井手文子)
「一人の人間がそこに一人で立って、自分の責任をまっとうして滅びる。正造はガンディとかチャプリンと同じような大いなるクラウンだと思います」(竹内敏晴)
『田中正造全集』(岩波書店)を編集した油井正臣は、書簡五千二十通を全集に収録した。著書を一冊も残さない男が五千二十通も書いている。それにしてもよく残ったもの、残した人がいるものだ。日暮里に住んでいた逸見斧吉宛てなど、同じ日付で十通もあるという。語り手油井と聞き手田村は手紙、ビラ、請願書、鉱毒悲歌などが正造のメディアであったこと、地下水のような彼の情報宣伝のネットワークについて語りあい、スリリングだ。
環境、人権、自治、無戦主義、加うるに「辛酸亦佳境に入る」の透徹した柔軟性。田中正造を考えるべきいいときに大事な本が出た。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする




































