喪失からの回復、晴れやかに
敗戦がもたらした焼け野原。失うものはなにもなかった。まるはだかの喪失をこそ回復の原動力に変えてきたのが、わたしたち日本人ではなかったか。東京オリンピックを成功に導いた舞台裏のプロたちの獅子奮迅ぶりにふれて、つくづく思う。日本人は街場のひとりひとりにいたるまで「つくる」ことに意気地をもつ職人なのだ、と。
ありったけの気迫で挑んだ総力戦だった。ポスターやピクトグラム(絵文字)を製作したグラフィックデザイナー。記録映画を撮った映画監督やスタッフ。選手村の食事を手がけた料理人。競技結果の速報システムを開発した情報処理の専門家。みなそれぞれ未知と向き合う職人としてゼロ地点に立ち、勝負を賭けた。「つくる」ことを闊達(かったつ)におもしろがって夢を現実にした。その結果、東京オリンピックは戦後日本の歴史に金字塔を打ちたて、閉会してなお経済成長の波を引き寄せたのである。
日本人の回復と再生のすがたが、ここにある。一九六四年十月十日、開会式は晴れやかな青空だった。二〇一一年三月十一日のち、おなじ青空はわたしたちの頭上にもひろがっている。