書評

『彩雪に舞う…―楠勝平作品集』(青林工芸舎)

  • 2018/10/16
彩雪に舞う…楠勝平作品集 / 楠 勝平
彩雪に舞う…楠勝平作品集
  • 著者:楠 勝平
  • 出版社:青林工芸舎
  • 装丁:コミック(599ページ)
  • 発売日:2001-02-28
  • ISBN:4883790711
内容紹介:
生きることすなわち描くこと-劇画を通して人の生き死にを問い続けた夭折の作家、初の全集的集成。代表作を中心に晩年の最重要作「ぼろぼろぼろ」他単行本未収録作品も多数。完全限定3千部全冊エディションナンバー入り◎解説/呉智英
漫画が停滞しているといわれて久しい。だがそれは、これまであまりに大量生産されている少年週刊誌が、少子化の煽りを受けて伸び悩んでいたり、蒐集家を当て込んで古書店が一部の漫画家の過去の作品に、異常なまでの価格を付けたりしたことを意味しているのであって、ジャンルとして戦後日本の漫画がこれからも大きな可能性を秘めていることには変わりがない。いやむしろ海外の研究家が次々と出現し、日本を舞台とする新しい文化研究が盛んになろうとしている現在、個々の漫画家についての研究があまりにも立ち遅れていることこそ、問題としなければならない。いつまで経っても、アトム百年、手塚万年のお題目ばかりを唱えているだけでは、困るのである。

楠勝平は、今日ではほとんど忘れられてしまった漫画家である。1944年に東京荒川に看板の書き文字職人の家に生まれ、貸本屋で白土三平の漫画に読み耽った世代に属している。やがて『忍者武芸帳』の最後の方で白土の助手を務めたことから、青林堂の『忍法秘話』や『ガロ』に時代ものの短編を発表するようになった。もっとも少年時に発症した心臓弁膜症に苦しめられ、入退院を繰り返しながら創作活動を続けた。逝去したのは1974年、わずか30歳のときであった。その後、70年代に作品集が編纂されたことがあったが、もちろん今日では入手するすべもなく、長らく幻の漫画家であると呼ばれていた。楠よりいささか遅れて『ガロ』でデビューした池上遼一や林静一、佐々木マキといった面々が70年代以降に大きな活躍をはたしたことを考えあわせると、彼の夭折はいかにも惜しく、日本映画における山中貞雄のような伝説的位置に、楠を押し上げることになった。

今回纏められた作品集に収録されているのは、初期の貸本漫画時代のものを除いたなかから選ばれた17本の短編と中編連作である。時期的には1966年から72年までにわたり、後半になるにつれて死への傾斜が強くなり、ペシミズムと希望との間で作者が大きく動揺しながら、しだいに「末期の目」とでもいうべき達観した姿勢に到達するまでを窺い知ることができる。

とある宿場町で大火事があり、焼け出された旅人たちが燃え残った一軒の宿で、雨宿りをしている。一同のなかにひとりの武士がいて、剽軽者の町人の要望に応じて、江戸のお屋敷に届ける途中の屈指の名刀を、座興で披露することになる。武士が厳粛な表情で説明をし、無風湖の面とも見える刀身が現われるに及んで、最初は冗談半分でつきあっていた町人たちも、いつしか刀の妖しげな魅惑に深く引き込まれていく。だが居合わせた面々が静まりかえり、名刀の醸し出す幽玄の境地に遊んでいるまさにその時、後方で高笑いが聞こえる。一同が振り向くと、そこには大工の見習いの小僧がいて、「俺の持ってる方がよく斬れらあ」と宣言する。老いた棟梁が小僧を殴りつけ、その場を取り繕おうとするが、武士は真面目な表情でその刀を見せてほしいという。小僧はひと言、「見せものじゃねえ」と叫ぶ。武士は怒り、一刀のもとに彼を斬り捨てて、風呂敷包みのなかの刀を改めようとする。期待に反してそこから現われたのは、一丁の鉋である。「鉋は家やしきを……」といいながら、小僧は絶命する。武士が鉋を投げ捨てると、それは板の間を美しく削りながら外の水溜まりに落ちる。人々は少年の死体を前に、黙ったままたちすくむ。

21歳のときに書かれた『名刀』という短編である。死を賭けてまで自分のささやかな畑を誇りをもって耕すことこそ、楠がみずからに命じたモラルであった。本書の冒頭に置かれたこの短編には、この姿勢がまさに凝集された形で現われているといえる。白土三平が天下国家を騒がす英雄の叙事詩へと向かったとき、その弟子は市井に潜む名もなき人間の生き死にを、コツコツと描き続けた。描線は太く堅固であり、科白は簡潔を究める。われわれはここに、戦後日本漫画の水準の高さを改めて確認するのである。

【この書評が収録されている書籍】
人間を守る読書  / 四方田 犬彦
人間を守る読書
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(321ページ)
  • 発売日:2007-09-00
  • ISBN:4166605925
内容紹介:
古典からサブカルチャーまで、今日の日本人にとってヴィヴィッドであるべき書物約155冊を紹介。「決して情報に還元されることのない思考」のすばらしさを読者に提案する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

彩雪に舞う…楠勝平作品集 / 楠 勝平
彩雪に舞う…楠勝平作品集
  • 著者:楠 勝平
  • 出版社:青林工芸舎
  • 装丁:コミック(599ページ)
  • 発売日:2001-02-28
  • ISBN:4883790711
内容紹介:
生きることすなわち描くこと-劇画を通して人の生き死にを問い続けた夭折の作家、初の全集的集成。代表作を中心に晩年の最重要作「ぼろぼろぼろ」他単行本未収録作品も多数。完全限定3千部全冊エディションナンバー入り◎解説/呉智英

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初出メディア

中央公論

中央公論 2001年7月号

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

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