書評

『沈黙の艦隊』(講談社)

  • 2023/10/20
沈黙の艦隊 / かわぐち かいじ
沈黙の艦隊
  • 著者:かわぐち かいじ
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(225ページ)
  • 発売日:1989-12-00
  • ISBN-10:4061026925
  • ISBN-13:978-4061026926
内容紹介:
日米は、世界でも類をみない高性能な原子力潜水艦「シーバット」を、極秘裡に造り上げる。日本によって資金、技術提供をされた日本初の原潜であったが、米第7艦隊所属という、数奇の宿命を背負… もっと読む
日米は、世界でも類をみない高性能な原子力潜水艦「シーバット」を、極秘裡に造り上げる。日本によって資金、技術提供をされた日本初の原潜であったが、米第7艦隊所属という、数奇の宿命を背負った落とし子でもあった。艦長には、海自一の操艦と慎重さを誇る海江田四郎が任命された。が、海江田は突如、試験航海中に指揮下を離れ、深海へと潜行する。米軍は「シーバット」を敵と見なし、撃沈のため第3、第7艦隊を南太平洋に集結。しかし、大胆にもシーバットは艦隊中最大の空母「カールビンソン」の目前に堂々と浮上。独立国家「やまと」を全世界に向けて宣言したのだった。

緊迫感みなぎる潜水艦の戦闘シーン

『沈黙の艦隊』(講談社)が二回目のクライマックスを迎えている。

たった一隻で米軍大西洋艦隊の包囲網を破ってニューヨーク沖に浮上した日本の原子力潜水艦やまとに対し、若きアメリカ大統領は、ニューヨークを瓦礫(がれき)と化す覚悟で再び攻撃を強行するかどうか。一方、やまとを率いる目のきれいな前海上自衛隊海将補、海江田艦長は、いったいどんな提案をアメリカと世界に突き付けるのか。動揺する国連は、アメリカ支持派とやまと支持派のどちらが制するか。

とにかくこんな展開になるとは、日米両政府も漫画週刊誌『モーニング』の愛読者も思いもよらなんだ。

ことは、両政府が、極秘裡に技術を集めて最新鋭の原潜を建造したことからはじまった。乗組員は海江田以下、前自衛官、所属はアメリカ太平洋艦隊、という両政府にとってウマイ話だったが、その訓練航海中、海江田は米軍の指揮から離脱し、追撃する米艦隊をモルッカ海峡で大破する。そこから北上して日本海溝でロシアの誇る原潜を一騎打ちのすえに深海に葬る。

潜水艦の闘いの緊迫感については、映画にもなったトム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え』で知ってはいたが、ここまでのものとは。

戦闘の空間が沈黙と暗黒に支配されているのが不気味だ。砂嵐も吹かなければ四季もなく光も届かない海の中で、窓の一つもない鉄の器の中にこもった男の集団が、かすかな音波と電波を唯一の外界認識の手段として、見えない相手の動きを探り、魚雷を発射し、体をかわし、かわしそこねて被弾すると潰れ、海底に沈んで終わる。相手の姿を見ることも触ることもなく、生命をかけた戦闘の経過をただ音波と電波という情報だけで認識し、その結果を自分の肉体で味わうことのできるのは、破れて潰れるときだけ。潜水艦は息苦しいまでに内向的で哲学的な兵器なのである。

そのかわり、地上や海上を相手にした時は強い。陸地は大陸ごとに分断されているが、海は一つで、その中を音もなく姿も見せず潜行し、突如、世界のどの都市の沖にでも浮上できる。たった一人で反乱するには、これほど好都合な兵器もない。

海江田の反乱の目的は、間に戦闘をはさみながら次第に明らかになってくる。

まず、艦の名をやまとと名乗り、日米両政府に対し国家として独立宣言を発す。領土も政治も経済も持たない純粋に軍事力だけの国家である。

この国家は、米日ロの太平洋艦隊を破り、その過程で通常魚雷を使いはたし、核ミサイルだけを持って、東京湾に浮上し、ストーリーは最初のクライマックスを迎える。

日本国に対し、国交の締結と、在日米軍同様の便宜(食料、修理)供与を求め、同時に、反乱の目的を、取材に集まった世界のジャーナリズムに向け語る。

この目的のため、どの国の軍隊であれ向かうものは打ち破る決意を表明する。

これに対し、アメリカは、太平洋艦隊と在日米軍を動員してやまと攻撃はむろん、日本政府の万一の国交締結の場合にそなえ、日本再占領計画の準備に入った。

舞台は戦闘から政治へと移る。

日本の首相は、海江田との会見によって冷戦終結以後の世界の軍事のあり方について深く想うところがあり、やまととの国交締結の意志を表明した。ここに日本の世論と保守党は二つに分裂し、また国連は、日本政府がやまとと秘密協定を結んで再び世界に覇権を求めることを恐れ、首相とやまとを批判する。やまとの目的も首相の考えも真意を疑われ世界中から孤立するかに見えたが、ここに意外な展開が始まる。やまとは、国連の指揮下に入る意志を表明し、首相は、自衛隊の全軍事力を、国連にゆだねることを表明した。

ここに日本の政治は沸騰し、保守党を二分して総選挙が行われ、首相は勝つ。そして、国連も、やまとの意志を受け容れるかどうかで創立以来の右往左往に立ち至る。もし、アメリカの太平洋艦隊を破ったやまとの指揮権を国連が持ったら、世界の秩序はどうなるのか。冷戦終結以後アメリカが進めているアメリカ中心の戦争と平和の構造は決定的に崩れるしかない。

修理を終え補給を受けたやまとは東京湾から消え、北極海での米原潜部隊の待ち伏せをかわし、大西洋に入り、一隻で動くことを巧みに生かした戦術で大西洋艦隊の軍事力を無に帰し、ついにニューヨーク沖に浮上した。

女性が一人も登場しないし、テーマは世界、国家、戦争、平和といったシロモノで、シーンはもっぱら戦闘と議論ばかり描かれている。もし同じことを文章でやったらまちがいなく誇大妄想と大時代の失敗作に終わるのに、漫画だとリアリティーがあって次号の展開が待ち遠しいのである。これまでなかった方面での、漫画の新しい表現能力の開花と言っていいと思う。

【新装版】
新装版 沈黙の艦隊 / かわぐち かいじ
新装版 沈黙の艦隊
  • 著者:かわぐち かいじ
  • 出版社:講談社
  • 装丁:コミック(480ページ)
  • 発売日:2013-05-23
  • ISBN-10:4063768457
  • ISBN-13:978-4063768459

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【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

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沈黙の艦隊 / かわぐち かいじ
沈黙の艦隊
  • 著者:かわぐち かいじ
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(225ページ)
  • 発売日:1989-12-00
  • ISBN-10:4061026925
  • ISBN-13:978-4061026926
内容紹介:
日米は、世界でも類をみない高性能な原子力潜水艦「シーバット」を、極秘裡に造り上げる。日本によって資金、技術提供をされた日本初の原潜であったが、米第7艦隊所属という、数奇の宿命を背負… もっと読む
日米は、世界でも類をみない高性能な原子力潜水艦「シーバット」を、極秘裡に造り上げる。日本によって資金、技術提供をされた日本初の原潜であったが、米第7艦隊所属という、数奇の宿命を背負った落とし子でもあった。艦長には、海自一の操艦と慎重さを誇る海江田四郎が任命された。が、海江田は突如、試験航海中に指揮下を離れ、深海へと潜行する。米軍は「シーバット」を敵と見なし、撃沈のため第3、第7艦隊を南太平洋に集結。しかし、大胆にもシーバットは艦隊中最大の空母「カールビンソン」の目前に堂々と浮上。独立国家「やまと」を全世界に向けて宣言したのだった。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1993年6月18日号

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