書評
『ふたつのオリンピック 東京1964/2020』(KADOKAWA)
『菊とバット』著者が青年時代に見た、東京の街、怒濤の半世紀の記録。
東京オリンピックを二年半後に控えた一九六二年一月、北カリフォルニアの小都市出身のアメリカ空軍諜報部員ロバート青年は府中の空軍基地から私鉄と地下鉄を乗り継いでやってきた数寄屋橋交差点で驚くべき光景を目にする。「まず目を奪われたのはひとの群れだった」「次に目についたのは建設工事だった」「激しい混雑と交通渋滞。セメントの臭いが街中を覆いつくし、あらゆるひとの五感を猛攻撃していた」こうして、一瞬のうちに青年は劇的な変化を遂げつつある東京の虜になり、キャノン機関出身者がつくった六本木の外国人用ナイトクラブ「クラブ88」に出入りするかたわら英会話学校の教師となり、日本の日常生活になじんでいく。
青年にとって最も強烈な印象を与えたのが家庭教師をつとめる美容整形外科医所有の原宿のマンションで彼の家族や二人の女優などと観たオリンピック開会式だった。「そこはできたばかりの十階建ての豪華なマンションで、東京で最も羨望の目で見られる住居だった」「その日で最も鮮明に覚えているのは、部屋に充満していたオーラだった。そのオーラは誇らしさに満ちていた。(中略)これは目の前で日本がはっきりと変身を遂げている瞬間だった」
青年は退役後も日本に残り、駒込の安アパートから上智大学に通い、テレビ、映画、漫画といったサブ・カルチャーにドップリとつかりながら高度成長期の日本の歩みと同調してゆく。なかでも興味を引かれたのは日本の野球だった。「スポーツ新聞に目を通すことで、私は日本語が読めるようにもなった」「しかし、そのうち少しずつ、私は日本野球とアメリカ野球の文化の違いや、日本野球のなかに存在する日本固有の文化の影響などを見るようになった」
具体的にいうと、尋常でない数の犠牲バントと投手の過剰登板。日本人にとって野球はなによりもまず集団プレーであり、サムライ精神の発露であると気づいたのである。青年はヤクザの若者と友情を深めたことからアンダーグラウンドの世界にも通暁してゆく。比較文化論の傑作『菊とバット』『和をもって日本となす』や『東京アンダーワールド』などは、一九六〇年代の日常生活から生まれた。
日本を深く愛するあまり日本的組織の特殊性を摘出せざるを得なくなった一人のアメリカ人青年の素晴らしい青春回顧であると同時に、彼の目を通して描かれた変容する東京の絵巻物でもある。
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