クリスティー、セイヤーズ、バークリーら英国ミステリの巨匠たちの秘密。
別の機会に書いたことの繰り返しにはなるが、小学五年生のときに祖父母の家の二階にいとこの忘れていった一冊の本があり、それが筆者のその後の読書人生を決定づけたといってもいい。それは偕成社から出ていた『ABCの恐怖』で、表題からも容易に推察されるように、アガサ・クリスティーが黄金時代に発表し、代表作のひとつとなった、『ABC殺人事件』(1935年)をジュニア向けにリライトしたものである。もちろん、犯人も作者の仕掛けたトリックもまるで見抜けず、「世の中にこれほど面白い読み物があったのか」というのが、そのときの嘘いつわりのない気持ちだった。以来、黄金時代の探偵小説や英国ミステリにどっぷりとはまってしまい、本書『探偵小説の黄金だ時代』の著者同様、今日まで、ずっとその世界に魅了され続けている。黄金時代から第二次大戦後にかけてミステリを発表したイギリス人作家のなかで個人的なお気に入りをあげるなら、まずはなんといっても、クリスティーやアントニー・バークリーやドロシー・L・セイヤーズという、黄金時代の主役たち。その三人に続くのが、個性派ぞろいのバイプレイヤーたち──E・C・R・ロラック、グラディス・ミッチェル、クリスチアナ・ブランド、ミルワード・ケネディ、ジョン・ロード、ヘンリー・ウェイド、F・W・クロフツ、ニコラス・ブレイク、マイケル・イネス、シリル・ヘアー、エドマンド・クリスピン、レオ・ブルースといった面々だ(アメリカ人作家ではあるが、ディテクション・クラブの会員でもあることからして、ジョン・ディクスン・カーも心情的にはここに入れておきたい)。
実をいえば、イギリス黄金時代の作家たちはそのだれもが愛おしい。まったく世に知られていないような存在であっても、その数少ない作品をいざ手にとってみると、意外な掘り出し物であることが判明したりするから、まことに層が厚い。数々の実験的な試みが行なわれていたという点でも、興味のつきない時代であり、デザインに工夫を凝らした、カラフルなカバーアートをながめているのも楽しい。
マーティン・エドワーズの手になる本書もまた、イギリス黄金時代に対する深い愛に満ちあふれている。「伝統的なミステリは賞味期限切れとみなされ、それを読もうとしない人々は進んでそれらを十把ひとからげにした。それが黄金時代のフィクションの粗雑な類型化をもたらし、今に至っている」というエドワーズの主張は、本格好きであれば、大なり小なり感じているところをまさしく代弁してくれているし、本書に目を通せば、「探偵作家たちが社会や経済の実情をあえて無視し続けてきたという決めつけには、まるで根拠がない」、「クリスティーや彼女の仲間たちが実社会の問題を取り上げなかったという世にはびこる認識は、まったくの誤りと言うしかない」ということが、痛感されるはずだ。
英国黄金時代に対する深い愛が全編に感じられるだけでもうれしいが、本書のすばらしさはそれだけにとどまらない。なにより評論でありながら、読み進めていくうちに、まるで黄金時代のイギリスを舞台に、探偵作家たちの躍動する雄大でドラマチックな物語を読んでいるような気さえしてくる。「事実は小説よりも奇なり」を地で行くエピソードが満載だからで、それにエドワーズならではの文章力、分析力、深読みが加わるのだから、これで面白くないはずはない。ディテクション・クラブの謎を解かんがために、献辞や本の行間、物語のテーマや登場人物たちを深読みし過ぎているのではないかと、折にふれて感じられなくもないが、作家自身の書簡や家族の証言など、膨大な傍証を目の前に提示されては、こちらとしても納得せざるをえない。ややゴシップに流れている部分もあるが(それはそれで、探偵作家たちの人間らしさが垣間見られて、抜群に面白いのだが)、おかげで伝説的な存在だった作家たちがちょっと身近に感じられて、探偵小説ファンとしては楽しい想像をめぐらすことができる。
さあ、本書を読み終えたあと、ディテクション・クラブの主役や脇役たちの実際の作品を手にとってみれば、それらの新たな魅力が見えてくるはずだ。幸いなことに、バークリーの『第二の銃声』が国書刊行会の〈世界探偵小説全集〉で配本されて以来、クラシック・ミステリの翻訳シーンは、それ以前では考えられないほど活況を呈してきた。実際、本書で取りあげられている作品も相当数が翻訳されている。これを機会に、未読のものに手をのばしたり、既読のものをじっくり再読されてみるのはいかがだろうか。
[書き手]森英俊(ミステリ評論家・翻訳家)