書評

『探偵小説あるいはモデルニテ』(法政大学出版局)

  • 2024/02/26
探偵小説あるいはモデルニテ / ジャック・デュボア
探偵小説あるいはモデルニテ
  • 著者:ジャック・デュボア
  • 翻訳:鈴木 智之
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(361ページ)
  • 発売日:1998-05-00
  • ISBN-10:4588006053
  • ISBN-13:978-4588006050
内容紹介:
メグレやポアロのユートピアへ―探偵小説の社会学。文学かゲームか、多義的な世界を解読。ポー以来1世紀半の歴史を有する探偵小説は、近代人の「存在の不確定性」を土壌とするモダンの文化である。謎と疑い、手がかりと捜査のエクリチュールの問題性と可能性、またその深層に潜む現代的な「オイディプス神話」を透視する、注目の文化記号論的・文学制度論的考察。

私立探偵オイディプスの影

二十世紀におけるすべての偉大な小説は探偵小説だというあのボルヘスの言葉をまつまでもなく、優れた文学作品と探偵小説には、主題と形式において、また形式の模索が主題に返されるメタレベルの構造において、あきらかな類縁関係が見られる。伝統的な物語の型を崩しつつ、あらたな定型を創り出すために「語る行為」の恣意性を最大限に活用する遊戯精神と修辞的な追求。しかも探偵が最終的に行き着くのは、いずれも近代小説の根幹に据えられた過剰なる自意識の、つまりはアイデンティティの危機という問題なのである。犯人は誰かと問うことは、他者とは、「私」とは誰なのかと問うに等しいのだ。

ジャック・デュボアの『探偵小説あるいはモデルニテ』は、今世紀の先端的な文学に無視できない影響を及ぼしている探偵小説の特色を、その生成期にあたる、自由主義的資本主義が到来した十九世紀なかばにさかのぼって、ボードレールの言う「近代的なるもの」との関わりから説き起こした手堅く刺激的な一書である。社会の変動と文芸の歴史が交錯したこの時代に隆盛をむかえた新聞小説やユゴー風の社会史的叙事詩、ゴンクール兄弟が開拓した芸術小説、そしてとりわけ写真をはじめとする多様なジャンルと競合しながら「めぐりあわせの圧制」を享受してきた表現の磁場こそが探偵小説なのであり、そこにはつかのまの生を謳歌し、はかなさの神話から個の魅力を引き出していく『悪の華』の詩人の思想と時代の力学が残されている。

探偵と犯人、探偵と容疑者、あるいは犯人とその犠牲者は、大都市にうごめく、たがいに必然的な結びつきなどありはしない群衆のなかでその場かぎりの関係をとりむすぶ。いっさいの権力と無縁の散策者=フラヌールたる探偵は、一見したところ意味のなさそうな細部を「手がかり」として、謎を地道に解読する記号学者となり、熱き英雄ではなく醒めた観察者の相貌を獲得する。真実を求めて容疑者や犯人に自己同一化し、ついにはみずからの存在理由を疑うにいたって、彼はすべての役割をひとりで背負わされたオイディプスの神話をなぞりはじめるのだ。犯人と探偵が同一人物であるかもしれないという差し迫った謎に父親殺しの変奏を読み、ルルー、シムノン、ジャプリゾの小説を通して立証する第III部がその意味でもっとも生彩に富んでいる。

ただし、探偵小説に植えつけられた中間領域の宿命を「モデルニテ」の概念に連結し、いわば学術的に神話化しようとする行為の自己矛盾にたいして、著者はさほど意識的であるように見えない。文芸社会学的な視線でつづられた箇所よりも、具体的な作品に即した分析を実践する末尾の数十頁のほうが説得力においてはるかにまさっているのは、そのためではないだろうか。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

探偵小説あるいはモデルニテ / ジャック・デュボア
探偵小説あるいはモデルニテ
  • 著者:ジャック・デュボア
  • 翻訳:鈴木 智之
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(361ページ)
  • 発売日:1998-05-00
  • ISBN-10:4588006053
  • ISBN-13:978-4588006050
内容紹介:
メグレやポアロのユートピアへ―探偵小説の社会学。文学かゲームか、多義的な世界を解読。ポー以来1世紀半の歴史を有する探偵小説は、近代人の「存在の不確定性」を土壌とするモダンの文化である。謎と疑い、手がかりと捜査のエクリチュールの問題性と可能性、またその深層に潜む現代的な「オイディプス神話」を透視する、注目の文化記号論的・文学制度論的考察。

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初出メディア

すばる

すばる 1998年9月

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