前書き

『フランス革命と明治維新』(白水社)

  • 2019/02/04
フランス革命と明治維新 / 三浦 信孝,福井 憲彦
フランス革命と明治維新
  • 著者:三浦 信孝,福井 憲彦
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(234ページ)
  • 発売日:2018-12-20
  • ISBN-10:456009666X
  • ISBN-13:978-4560096666
内容紹介:
暴力なき革命は可能か? 明治維新について考えることがフランス革命を考えることにつながり、またフランス革命について考えることが明治維新について考えることにつながる──かつてそんな時… もっと読む
暴力なき革命は可能か?

 明治維新について考えることがフランス革命を考えることにつながり、またフランス革命について考えることが明治維新について考えることにつながる──かつてそんな時代があった。
 研究の進展と情勢の変化はこの結びつきをいつしか自明とはしなくなった。そして世代が経過するとともに、二つの革命を結びつけて考えていた時代の記憶は失われてしまった。
 フランス革命史研究における正統派と修正派の論争、日本資本主義論争から戦後歴史学の展開を振り返ることによって、本書はフランス革命と明治維新を考えることが結びついていた時代の記憶を改めて提示したい。その後の研究の進展は、この布置を理解して初めて可能になる。
 本書に収録した柴田三千雄と遅塚忠躬の幻の論考「日本の歴史学におけるフランス革命像」はこの問題を鮮やかに浮き彫りにしてくれる。
 加えて、ピエール・セルナ、三谷博、渡辺浩、ピエール=フランソワ・スイリ、そして三浦信孝と福井憲彦の日仏の権威がフランス革命と明治維新の新たな見方を提示し、これからの革命のあり方を展望する。暴力なき革命は果たして可能か? マルクスには見えなかったものとは何か? 明治維新150年の記念碑。

フランス革命と明治維新の新たな見方

今年二〇一八年は、王政復古の大号令を起点とする明治維新から百五十周年にあたる(ALL REVIEWS事務局注:本まえがき執筆時期は2018年12月)。東京・恵比寿の日仏会館では六月三十日に、維新史研究の最前線にある三谷博を中心に、シンポジウム「明治維新を考える、明治維新とフランス革命」を企画し、福井憲彦の司会のもと日仏四人の歴史家が比較しがたいものの比較をめぐり議論を戦わせた。本書はその記録論文集である。

なぜ明治維新とフランス革命かといえば、一六八九年のイギリスの名誉革命、一七七六年のアメリカの独立革命、一七八九年のフランス革命、一九一七年のロシア革命など世界の近代史上の数ある革命のなかで、明治維新研究で範例として参照され比較の基準となってきたのがフランス革命だったからである。明治維新はフランス革命に約八十年遅れて起こったが、維新の志士たちの脳裏にフランス革命がモデルとしてあったわけではなく、フランス革命やその源にある啓蒙思想についてある程度まとまった知識が伝えられるのは、維新後少なくとも数年経ってからのことである。しかし第一次世界大戦後、日本にマルクス主義が入ってくると、昭和初期の一九三〇年代に、明治維新はフランス革命のようなブルジョワ市民革命か、それとも寄生地主制にもとづく絶対主義天皇制の成立かをめぐり、マルクス主義経済史家のあいだで論争が起こる。封建制から資本主義への移行をめぐる労農派と講座派の日本資本主義論争である。

しかし今から振り返ると、どちらの革命も世襲による身分制を廃止して四民平等の「国民」を剏出し、共和制か立憲君主制かという到達点の違いはあれ、近代国民国家建設の出発点になったことに変わりはない。ただし、同じ「国民」と言っても、フランスの国民が法の下に平等な「市民(citoyens)」から成り、日本の国民が天皇の「臣民(sujets)」として「一君万民」的意味での平等だったという建前上の違いは無視できない。一七八九年八月二十六日の「人間と市民の権利の宣言」は、第一条で主権が国王ではなく国民(Nation)にあることを宣言したが、フランスの人権宣言からちょうど百年後の明治二十二年に発布された欽定憲法は、その第一条で「大日本帝國は万世一系の天皇之を統治す」と定めており、主権が天皇から国民に移るには、第二次世界大戦での敗北と一九四六年に公布される日本国憲法を待たねばならなかった。

明治百五十年を前に『維新史再考』(NHKブックス)を著した三谷博は、明治維新を、狭くとると一八五八年の条約勅許問題に端を発する安政五年の政変から西南反乱が終息した一八七七年までの約二十年、広くとると一八五三年のペリー来航から一八九〇年の帝国議会開設までの約四十年を完結した過去のサイクルとして捉え、左右のイデオロギーを抜きに史料にもとづいて実証的に維新史の書き換えをはかる。これは、「長期持続の視点からコスモポリタン的政治形態を再考する」ピエール・セルナのフランス革命論とタイムスパンの取り方で対立する。「コスモポリタン的政治形態」とは民主的共和国のことで、セルナ・ペーパーの最初のタイトルは「革命と共和国」だった。一七八九年の人権宣言はユダヤ人や黒人奴隷を解放したが、女性は市民権から除外され、その後ナポレオンによる奴隷制の復活やローマ教皇とのコンコルダートなど揺り戻しがあった。フランス革命の理想は一世紀後の第三共和政期にようやく制度的に定着したとする通説に対し、セルナは、革命が掲げた「普遍的市民権」の理念はポストコロニアルの現代にあってもなおアクチュアリティを失っていないとし、革命二百周年の十年前に「フランス革命は終わった」と宣言したフランソワ・フュレとは逆に、「フランス革命は終わっていない」とする未完の革命論を展開する。

確かに、フランスは一七八九年に始まる革命で一挙に王政を廃止したわけではなく、国民公会が共和国を宣言するのは、一七九二年九月二十日、ヴァルミーの会戦で勝利した翌日である。しかしその後ナポレオンの帝政と王政復古があり、さらに二度の革命と帝政があって、共和政体が定着するのは大革命から一世紀を経た第三共和政期のことに過ぎない。幕末期の幕政改革を支援したナポレオン三世の第二帝政が普仏戦争での敗北で倒れるのは一八七〇年で、明治維新の二年後である。その明治維新が、西洋列強の脅威を前に独立を守るため国家統一を急ぎ、文明開化の掛け声のもとに日本の近代化の出発点になったのは確かだとしても、第二次世界大戦での敗北による戦後の民主化改革の遺産を抜きに現代日本の問題を考えることはできない。日本の近代百五十年の歴史は先の大戦を挟んでちょうど二つに等分されるのである。

[書き手]三浦信孝(日仏会館副理事長、中央大学名誉教授)
フランス革命と明治維新 / 三浦 信孝,福井 憲彦
フランス革命と明治維新
  • 著者:三浦 信孝,福井 憲彦
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(234ページ)
  • 発売日:2018-12-20
  • ISBN-10:456009666X
  • ISBN-13:978-4560096666
内容紹介:
暴力なき革命は可能か? 明治維新について考えることがフランス革命を考えることにつながり、またフランス革命について考えることが明治維新について考えることにつながる──かつてそんな時… もっと読む
暴力なき革命は可能か?

 明治維新について考えることがフランス革命を考えることにつながり、またフランス革命について考えることが明治維新について考えることにつながる──かつてそんな時代があった。
 研究の進展と情勢の変化はこの結びつきをいつしか自明とはしなくなった。そして世代が経過するとともに、二つの革命を結びつけて考えていた時代の記憶は失われてしまった。
 フランス革命史研究における正統派と修正派の論争、日本資本主義論争から戦後歴史学の展開を振り返ることによって、本書はフランス革命と明治維新を考えることが結びついていた時代の記憶を改めて提示したい。その後の研究の進展は、この布置を理解して初めて可能になる。
 本書に収録した柴田三千雄と遅塚忠躬の幻の論考「日本の歴史学におけるフランス革命像」はこの問題を鮮やかに浮き彫りにしてくれる。
 加えて、ピエール・セルナ、三谷博、渡辺浩、ピエール=フランソワ・スイリ、そして三浦信孝と福井憲彦の日仏の権威がフランス革命と明治維新の新たな見方を提示し、これからの革命のあり方を展望する。暴力なき革命は果たして可能か? マルクスには見えなかったものとは何か? 明治維新150年の記念碑。

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