未来はイマジネーションと好奇心でつくられる。
ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)――
各分野の先端をいく異才研究者たちが、見ていること・考えていることをまとめた『好奇心が未来をつくる』から所長 北野宏明の「はじめに」を特別公開します。
ソニーCSL 異才の研究者集団が妄想する、人類のこれから
「ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)は何をやっている組織ですか?」とよく聞かれます。ソニーCSLをひと言で言えば、「クレイジーな人が集まって妄想を現実化する場所」です。領域は問わず、自らの力で未踏の領域を切り開こうとするエネルギーの高い人々が、その能力をいかんなく発揮できる場を目指しています。
我々のモットーは、「越境し行動する研究所」です。
研究分野も限定していません。脳科学者もいれば、数学者もいる。農業の研究をしている人もいれば、義足の開発、健康医療や老化研究、言語や音楽、デザインに関する人間の創造性や能力拡張の研究など広範な領域を研究している研究員が所属しています。研究所という名前になっていますが、基礎研究から社会実装や事業化まで、一気通貫に行なう体制が確立しています。自分が重要だと思う研究の成果は、「研究」という枠に縛られずに、自ら世の中に〝実装する〟という姿勢が大切だと思っています。
研究をするということは、未来を切り開いていくことです。その原動力は、一人ひとりの強烈な想いから生まれるものなのです。
そして、我々のミッションも単純明快で、「人類の未来のための研究」を行なうということ、この一点に尽きます。さまざまな研究は、それが世のため・人のためになっているか。これが我々の研究に対する唯一の価値観といえます。
「ソニーの事業とどう関係するのですか?」というのもよく聞かれる質問です。一〇〇パーセント子会社でありながら、ソニーの事業範囲をはるかに超えた分野の研究員が集まっているからかもしれません。研究テーマの設定では、ソニーの事業のことは考慮に入れません。まずは、人類の未来に貢献するエキサイティングな研究で大きな成果を出すのが重要で、その成果やそこから派生する技術などを元々の研究の展開を邪魔しないようにソニーの事業に適切な時期に適切な形で還元するのは、マネージメントの仕事だと考えています。また、企業グループとしての戦略から言っても、ソニーCSLのような探索的な研究所が、現在の事業領域を意識しすぎるのでは、その仕事をしているとは言えません。大きく変化する世の中で想定外の領域や技術・着想の引き出しを広く深くつくり上げておくことは極めて重要な役割です。
現在、我々は三つの大きな研究領域に大きな関心を持っています。
一つ目はグローバルアジェンダ。地球規模の大きな問題に関して、どうアプローチするかという視点です。例えば、協生農法を研究している舩橋真俊。彼はもともと獣医で生物の勉強をしていましたが、それからカオスの理論の研究に入り、複雑系の理論でドクターを取り、ソニーCSLで農業をやりたいと言って入ってきました。膨大なデータベースと計算方法を編み出し、ちょっとあり得ないようなことを考えて、国内外の農場で実際に農業を実践して、その発想が実現可能であり、持続的な運用ができるところまで持ってきています。桜田一洋と山本雄士は、各々のアプローチで超高齢化社会における健康医療の新たなパラダイムをつくり上げようとしています。
もう一つの研究領域はHuman Augmentation(HA)。人間の能力─例えばクリエイティビティであるとか、パーセプション(感覚能力)であるとか、身体能力とか、これを拡張することに、技術がどう使えるかという研究人間の能力拡張という問題です。副所長でもある暦本純一は、拡張現実感(AR)の生みの親でもあり、さらにそれを拡張したHA分野の提唱者でもあります。さらに、拡張された現実と身体感覚・制御との境界を切り開く笠原俊一や、義足エンジニアの遠藤謙、音楽と神経科学の融合領域を扱う古屋晋一らの研究分野がこれにあたります。また、アレクシー・アンドレは、自らがデザイナーでもあり、クリエイティブ・プロセス自体が興味の対象です。
三つ目がサイバネティック・インテリジェンスです。これは、AIやデータ解析を基盤として現実世界のシステムやプロセスをインテリジェント化することを目指しており、データ解析や機械学習の基礎理論からソニーグループ内外の実際の課題を解決することまでを一気通貫に行なっています。高安秀樹は、経済物理の着想から半導体工場の歩留まり改善を成功させ、磯崎隆司は、統計と熱力学を融合させる基礎理論から始まり、大規模データからの因果関係の同定を可能としそれを事業展開しています。また、フランク・ニールセンは、計算情報幾何学の第一人者として、最先端の機械学習理論を構築しています。
これら領域が異なる研究者が自由に自分の研究に専念する。これも、ソニーCSLの特徴と言えるでしょう。
一九八八年に東京でスタートしたソニーCSLは、二〇一八年に設立から三〇年を迎えました。この三〇年で、世界は、とりわけコンピュータサイエンスの環境は大きな変貌を遂げて我々の生活を大きく変えました。
これからの三〇年で、さらに人類はどのように変わっていくのか。
この問いにあらためて向き合うために、研究員二〇人の研究への思いや、どのような未来をつくりたいのかを語り下ろしたのが、本書です。
研究分野に行き着いたこれまでの背景から、自身の研究の醍醐味、将来それがどのように世に出る姿を想像しているのか、そしてつくりたいのはどんな未来なのか。その発想の根源は何か。これらの問いをもとにしたインタビューは、二〇一八年の六月、七月、八月に、東京のソニーCSLのオフィスで延べ四〇時間をかけて行なわれました。
読んでいただくとご理解いただけると思いますが、一人ひとり、描いている未来も違えば、研究の動機も違う。科学に向き合う姿勢も違えば、問題意識もそれぞれです。もちろん未来に「正解」はない。一人ひとりが好奇心を発揮してどんな未来を描くのか、そしてそれを現実にするために何をするか。一人ひとりのイマジネーションから想像を超えた未来が生まれると、我々は信じています。
世の中はたった一人のイマジネーションと行動から変えることができます。
それが動き出すと、それを一緒にやろうという仲間が必ず出てくる。そうやって世の中が変わる流れが生まれます。
その最初の流れをつくることがソニーCSLの役割です。
未来とは、過去の延長ではない。
未来はイマジネーションと好奇心でつくられる。
本書を通して、研究者の思いが伝わればうれしく思います。
(書き手:ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長、所長 北野宏明)