書評

『明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった』(集英社)

  • 2019/03/29
明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった / 岡田 晃
明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった
  • 著者:岡田 晃
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2018-05-25
  • ISBN:4087861007
内容紹介:
「日本の奇跡」とも言われる明治維新後の近代工業化の礎は、江戸時代末期のサムライたちの奔走に始まる! 薩摩藩の集成館、鍋島藩の反射炉から、明治工業化の基礎を成した官営八幡製鉄所、三菱長崎造船所など、世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」を作り上げた人々の熱いドラマ。

明治一五〇年が教える“日本の底力”

日本最大のピンチをチャンスに変えた明治維新

二〇一八年は明治維新から一五〇年の節目の年にあたる。明治維新によって日本は近代化を成し遂げ、わずか数十年で世界有数の大国となった。西洋技術を積極的に導入して近代産業を発展させ、世界でも例を見ない経済発展を実現したのだった。と同時に、廃藩置県、四民平等、学制の発令、徴兵令、廃刀令など、国の制度や仕組みを根本から変える改革を矢継ぎ早に断行した。驚くべきエネルギーである。こうして明治時代に形成された産業の姿が今日の日本経済の基礎を作っている。

しかし実は明治維新の前、日本は最大のピンチに直面していた。ペリー率いる黒船の来航によって泰平の眠りから目覚めさせられた日本人は、欧米列強による侵略の危機が目の前に迫っていることを知ったのだ。その危機を乗り越えるため、薩摩や長州などいわゆる西南雄藩は必死になって軍事力と経済力の強化を進めた。このエネルギーが明治維新を成し遂げる原動力になったのである。いわば、ピンチをチャンスに変えたわけだ。

少し意外に思われるかもしれないが、幕府も同じように近代化に取り組んでいた。欧米列強に対抗するにはまず海軍力の強化が急務と考えた幕府は長崎海軍伝習所を設立し、勝海舟や榎本武揚など幕臣に航海術や砲術、測量術などを学ばせた。

しかも幕府はこの海軍伝習所を自分たちだけで独占するのではなく、各藩にも参加を呼びかけたのだ。これに応じて有力藩は藩士を伝習生(学生)として派遣した。ここで学んだ藩士たちはその成果を藩に持ち帰り、各藩はそれを活かして人材育成と技術力の向上に役立てていく。

その中には、若き日の薩摩藩士・五代友厚がいた。五代にとって、海軍伝習所で西洋の船について深く学んだことが彼の人生に大きな影響を与えた。その後、五代は西洋から蒸気船を購入する藩の担当となり、さらには密かに英国に渡り武器弾薬や紡績機械の大量買い付けを行った。これが薩摩藩の軍事力と経済力の強化に大いに役立ち、薩摩は討幕を果たすことができたのだった。

幕府が作った海軍伝習所で学んだ人材が、やがて討幕のために活躍するのだから、歴史とは皮肉な一面を持っているものだ。しかし“オール・ニッポン”としては幕府の努力もまた歴史に貢献したと言える。

こうして薩摩・長州などが中心となって幕府を倒し明治維新が実現する。新政府は富国強兵と殖産興業を推進し、紡績、造船、鉄鋼、石炭などの産業が短期間で発展していった。産業革命である。急成長を遂げた経済力を背景に、日本は欧米列強からの侵略を免れ近代国家の仲間入りを果したのだった。

 

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」は日本のモノづくりの原点

二〇一五年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、そのような日本の近代化の足跡を示している。同遺産は幕末から明治にかけての産業施設や史跡群で、鹿児島、長崎など九州各地や山口から静岡、岩手の八県にまたがる二三の施設で構成されている。

その内容は、長崎市の旧グラバー住宅や軍艦島、山口県萩市の松下(しょうか)村塾(そんじゅく)、鹿児島の旧集成館(しゅうせいかん)、伊豆・韮山(にらやま)の反射炉など多彩で、全体を通して見ると、近代化に挑戦して試行錯誤を繰り返した時期から、明治維新、そして産業革命へと発展していった過程がよくわかるようになっている。

「明治日本の産業革命遺産」は、他の世界遺産にはあまり見られない特徴を持っている。その一つは、「シリアル・ノミネーション」方式で世界遺産に登録されたこと。これは、複数の資産が関連しあって全体として一つのテーマで価値を有すると認められ、一括して登録する方式のことだ。「シリアル・ノミネーション」」方式で世界遺産に登録された例は他にもあるが、「明治日本の産業革命遺産」ほど地理的に広範囲に分散し、内容もそれぞれが別々に見えるものが含まれるケースは珍しい。

実際、二三の構成資産はお互いに技術的にも人的にもつながりを持っていた。例えば、アヘン戦争など欧米列強によるアジア進出に危機感を抱いた薩摩藩主・島津斉(なり)彬(あきら)が自前で大砲を製造することを決断、先行していた佐賀藩から大砲製造法の蘭書の翻訳本を取り寄せ、それをもとに反射炉の建設に乗り出した。佐賀藩ではすでに反射炉の建設に成功していたが、その技術は幕府の韮山反射炉や長州藩の萩反射炉にも伝わった。

さらに薩摩の反射炉技術は水戸藩を経由して盛岡(南部)藩に伝えられ、日本初の洋式高炉となる橋野高炉(現・岩手県釜石市)が建設された。これが明治に入って官営釜石製鉄所、さらに官営八幡製鉄所に受け継がれていく。

このうち、佐賀藩と水戸藩の反射炉は現存していないが、薩摩、萩、韮山の各反射炉、橋野高炉跡、官営八幡製鉄所の一部施設が世界遺産となっている。

「明治日本の産業革命遺産」のもう一つの特徴は、稼働中の施設も含まれていることだ。

三菱長崎造船所(現・三菱重工業長崎造船所)のドックや巨大クレーン、官営八幡製鉄所(現・新日鉄住金八幡製鉄所)の一部工場、三池港の一部施設などで、いずれも何と一〇〇年以上にわたって稼働し続けている。

これらは西洋から導入した最新技術を日本の在来技術と融合させて短期間で自分のものにしたもので、明治期の産業革命が完成したことを示すと同時に、日本のモノづくり技術の水準の高さ、オペレーションやメンテナンスの面でもていねいできめの細かい日本製造業の特質をよく表している。まさに「明治日本の産業革命遺産」は日本のモノづくりの原点であり、日本経済の底力のルーツであると言えよう。

 

今日の日本経済の土台を作った明治維新と「産業革命遺産」

ところで、明治維新については「富国強兵策が日本の軍国主義化と太平洋戦争につながった」といった批判的見方がある。戦前の軍国主義や太平洋戦争と同じことを繰り返してはならないのは言うまでもない。しかし明治維新が直接的に太平洋戦争に結びついたわけではない。

明治維新前後の日本を取り巻く国際情勢を見れば、日本は欧米列強による侵略の危機にさらされていたという事実を見落としてはならない。幕末の幕府や各藩、そして明治政府が欧米列強による侵略の危機から身を守るためには、国力を高めることが不可欠だった。重要なことは、ここでいう国力とは軍事力だけではなく経済力が大きなカギを握っていたという点だ。だからこそ殖産興業政策が取られ、産業革命を実現したのだった。これがなければ、今日の日本経済の姿もなかったと言っても過言ではない。

さらに日本は敗戦後の焼け野原から驚異の復興を遂げ、高度経済成長を果たした。それができたのは我々の先輩世代の人たちが懸命に努力したおかげだが、同時にすでに戦前の経済発展が高いレベルに達していたことが背景にある。その土台があったからこそ、戦後にゼロの状態から短期間で立ち上がることが可能だったのである。その土台を作った原点は明治維新にあったことを忘れてはならない。

その土台を作った先人たちの努力は並大抵ではなかった。幕末期に洋書の翻訳本だけを頼りに反射炉を建設しようとしたとき、何度も試作品を作っては失敗し、ついに責任者は切腹したいと申し出たという。しかし藩主が思いとどまらせ、最後は大砲製造に成功する。

明治になり官営八幡製鉄所は国家的プロジェクトとなったが、操業当初はなかなかうまくいかず、火入れした高炉をいったん休止せざるを得ないところまで追い詰められたこともあったほどだ。しかしその試練を乗り越えて安定操業にこぎつけ、八幡製鉄所はやがて日本経済の屋台骨となった。

こうして失敗や挫折を味わい試行錯誤を繰り返しながらも、彼らは決してあきらめず、成功に導いていった。そこには、日本の近代化のために挑戦し続けるという高い志があった。それは歴史に名を残したリーダーだけではなく、数多くの無名の人々に至るまで皆同じだった。

今から十数年前、NHKの「プロジェクトX(エックス)」という番組があった。戦後の復興期から高度経済成長期を中心に、新製品開発や建設事業などで技術者や開発担当者が数々の困難を克服して成功した様子を描いた番組だったが、多くの視聴者は彼らの挑戦と努力に元気づけられ、日本経済の技術力の源泉や底力を感じたのではないかと思う。

「明治日本の産業革命遺産」はその明治維新版とでも言えるだろうか。同遺産を見て回ると、先人たちの残したものから元気をもらうことができ、日本の底力を感じ取ることができる。今日の日本経済は、そうした数多くの先人たちが努力に努力を重ねて築き上げたものが土台となっているのである。現代の我々の仕事や生活も、その上に成り立っているということを改めて強調しておきたい。

 

日本経済再生のヒントを見つける旅へ

筆者は日本経済新聞とテレビ東京、そして現在の大学勤務と経済評論活動を通して長年、日本経済と世界経済を取材し報道・解説する仕事を続けてきた。その経験から見ると、日本経済は今、バブル崩壊後の長いトンネルからようやく抜け出そうとし、復活に向けて動き出している。それは一五〇年前、長い眠りから目を覚まして新しい時代を切り開いた明治維新と重なり合うところが多いと強く感じる。

ともすると日本人は、日本経済が長年低迷してきたせいか、あるいは元来の控えめな性格のせいか、多くの日本人はなかなか前向きな姿勢になれないでいるように見える。

しかし時代は変わりつつある。そろそろ過度な悲観論から脱して、新しい時代を切り開くことにチャレンジしたいものである。「明治日本の産業革命遺産」は単なる過去の遺産ではなく、我々日本人が元気を取り戻して経済再生を果たすためのヒントが詰まっている。

「明治日本の産業革命遺産」については、十数年前から世界遺産登録をめざす活動が始まり、以来粘り強く活動が続けられてきた。二〇一三年には、関係自治体と産業界、有識者らによる「一般財団法人産業遺産国民会議」が設立され、そうした経過を経て二〇一五年七月に世界遺産に登録されたものだ。

その間、筆者は同国民会議の設立発起人の一人として参加するとともに、産業革命遺産の各資産と地元各地を取材し、集英社の総合言論誌『kotoba』(季刊)で連載「明治の産業革命遺産~“日本の底力”のルーツを訪ねて」を掲載した(二〇一六年春号~二〇一七年秋号)。

本書は同連載をベースに執筆したものである。「明治日本の産業革命遺産」の全二三資産について詳しく紹介しながら、当時の時代背景や各資産の建設のいきさつ、さらにそれに携わったリーダーや職人たちの奮闘にも焦点を当てた。

ただ、明治維新といえばすぐに名前が浮かぶ西郷隆盛や大久保利通は、本書ではわずかしか登場しない。むしろ準主役”や“脇役”、あるいは一般的にはあまり知られていない人物に多くのページを割いた。それによって、数多くの先人たちの手によって日本の近代化が成し遂げられたことを、読者の皆さんに実感してほしいと考えたためである。武士の世の中が終わって近代化が始まる時代に、高い志を持って挑戦を続けた彼らは「ラストサムライ」と呼ぶにふさわしい。その姿を知れば、現代に生きる我々も元気づけられるはずだ。本書がその一助になれば幸いである。

なお、登場人物の年齢は当時の習慣に従って原則として「数え年」で表記した。また会社名、人名などは原則として新字体で統一した。今回の取材に協力してくださった関係者の肩書は取材当時のものである。なお本書に掲載した写真のうち、著作権者・提供者の表記がない写真は筆者が撮影した。

さて、「賢者は歴史に学ぶ」という。先人たちが残した遺産から何を学び、どう未来に生かすべきか─―日本経済再生のヒントを見つける旅に出かけよう。
明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった / 岡田 晃
明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった
  • 著者:岡田 晃
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(296ページ)
  • 発売日:2018-05-25
  • ISBN:4087861007
内容紹介:
「日本の奇跡」とも言われる明治維新後の近代工業化の礎は、江戸時代末期のサムライたちの奔走に始まる! 薩摩藩の集成館、鍋島藩の反射炉から、明治工業化の基礎を成した官営八幡製鉄所、三菱長崎造船所など、世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」を作り上げた人々の熱いドラマ。

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