後書き

『緑の工業化―台湾経済の歴史的起源―』(名古屋大学出版会)

  • 2021/08/20
緑の工業化―台湾経済の歴史的起源― / 堀内 義隆
緑の工業化―台湾経済の歴史的起源―
  • 著者:堀内 義隆
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(286ページ)
  • 発売日:2021-08-18
  • ISBN-10:481581032X
  • ISBN-13:978-4815810320
内容紹介:
植民地下の台湾は、たんに帝国の食糧供給基地にとどまったのではなかった。見過ごされてきた工業化の契機を、豊かな農産品の加工・商品化と、それに伴う機械化・電動化に見出し、小零細企業が叢生する農村からの発展経路を実証、戦後台湾経済の原型をとらえた注目の成果。
日本統治期の台湾は、日本に砂糖や米を供給する農業社会だったと一般的に考えられていますが、新刊『緑の工業化――台湾経済の歴史的起源』では、その時代の台湾の「工業化の芽生え」に注目することで、新しい歴史像を提示しようと試みています。世界の人々の生活を大きく変えてきた近代化・工業化について語るうえで、著者はなぜ台湾を題材に選んだのでしょうか。以下、「あとがき」より抜粋して紹介します。

アジアにとって近代化とは何か――台湾工業化の歴史から考える

本書は、私が大学院で経済史研究を始めて以来テーマとしてきた、日本統治期台湾の工業化に関する論考をまとめたものである。

書名の『緑の工業化』は、台湾工業化社会の形成期の特徴である「農業に埋め込まれた工業化」を象徴的に表現したものである。少し勘の働く読者は、これが20世紀半ばの農業革命である「緑の革命(Green Revolution)」をもじったものであると気づくかもしれない。「緑の革命」が農業そのものの生産性向上運動であったのに対して、本書の「緑の工業化」は、政策的に意図されたものではないにせよ、農業社会に内在する工業化の芽生えであった。台湾において工業化がそのような形で展開されたことが、日本による植民地的開発と密接に関連していることは、本文でも繰り返し述べている。

念のために断っておけば、台湾では「緑」は民主進歩党のイメージカラーであり、台湾の事情に通じた人であれば、本書の題名から何らかの政治的メッセージのようなものを想起するかもしれないが、そうした意図はまったくない。また、植民地経済史の分野では珍しくもなくなった断り書きであるが、本書の主張によってかつての植民地支配を肯定する意図も毛頭ない。ただ、アジアにとって近代化とは何か、ということを客観的に考えるためのひとつの素材を提供できればよいという思いがあるだけである。

「緑の工業化」は「台湾工業化社会の形成期の特徴である」と上に述べたが、私はこれを台湾に固有の特徴であると狭く理解しているわけではない。本書の議論は、台湾や植民地の歴史に興味をもつ方ばかりでなく、後発国の工業化や近代化に興味をもつ方にとっても何らかの参考になるのではないかと思っている。

研究テーマとしての台湾

私が台湾の経済発展を研究テーマに選んだのは、もののはずみであったとしか言いようがない。近代の社会思想に興味をもって大学に入学した私は、マルクスの『資本論』を読むことから社会科学の勉強を始めた。資本主義という社会システムが生み出す近代社会のあり方や、長い人類史における近代の意味を考えることに強い興味をもった。その後、「人類社会にとって近代とは何か」という問題関心は一貫していたものの、大学院進学にあたっては、理論志向型よりも事実探究型の学問を選択した。また、それをアジアの側から考えたいと思い、植民地朝鮮の工業化に関する著書を出されたばかりであった堀和生先生を訪ね、指導をお願いした。

大学院進学当初の私は、当時急速な経済成長を始めた中国の発展の前提としての社会主義体制について研究しようと思っていた。ところが勉強を進めるなかで資料収集に不安を覚え、「これでは修士論文が書けない」と怖気づき、「とりあえず」のつもりで、京都大学に膨大な資料があった日本統治期の台湾について研究することにした。台湾については、「韓国とともに経済成長を果たしたアジアNIESの優等生」という程度の認識しか持っていなかった。

私が研究を始めた1990年代後半以降の台湾は、民主化・自由化が進むと同時に、多民族社会としての国家的アイデンティティを形成する運動が進められようとしていた。また、2000年には民進党の総統(大統領)が誕生し、約50年間続いた国民党一党独裁体制が終わりを告げる一方で、経済的には中国の台頭と台湾企業の苦境が鮮明になり始めていた。

2001年には、財団法人交流協会(現・公益財団法人日本台湾交流協会)日台交流センターの「歴史研究者交流事業」の助成を受けて、台湾に半年間滞在することができた。実際に滞在してみるとあっという間ではあったが、資料収集のかたわら台湾の各地を見て回り、現地の空気に触れると同時に、日本統治期から現代につながるものが確実にあるという感触を得た。基層にある中国的な社会原理のなかに日本的要素が流れ込み、さらに近代西洋的要素を取り込んだ台湾は、昭和生まれの私にはどこか懐かしさを感じさせつつも、日本とはまったく違った社会として現れた。なんとなく研究対象として選んだ台湾は、日本人が東アジアの近代化について、じっくりと考えるには格好の素材ではなかったかと、今にして思う。

工業化社会形成期の労働者たち

私が工業化社会の形成を研究テーマとした理由は、序章や終章から読み取っていただけると思うが、そこに書ききれなかった問題意識の核にあるのは、「近代社会を理解するうえで工業化社会に独特の労働市場の形成が決定的に重要であろう」という予感である。これは、私自身が一般的な労働者の家庭に生まれ育ったことや、大学の経済学部に進学して以来、労働問題に関心を持ち続けてきたことの結果であろう。本書でも工業化社会形成期の労働者の実態に迫ろうと努力したが、これについては未解明の点も多く、やや不満が残る結果となった。

本書は、歴史研究としては、固有名詞が比較的少ない叙述となっている。しかし、本書でも多用した『工場名簿』をめくれば、何千という工場所有者の名前が記載されている。たとえば、台湾プラスチックグループ(台塑企業)の創業者であり「台湾の松下幸之助」とも称される王永慶(1917-2008)は、経営者としてのキャリアを日本統治期の精米業経営から始めた。『工場名簿』からは、彼が1933年3月に台南州嘉義市において文益精米工場を設立し、職工3-4人で精米業を営み、少なくとも1940年末までは事業を継続していたことがわかる。もちろん、彼のような「ビッグネーム」はまれな存在であり、大多数の人々の活動は、歴史に埋もれていったのであるが、固有名詞としては歴史に登場しない、そうした人々の主体的な活動に光を当てることに、私は楽しさを感じたし、そこにも何かしらの意義があるのではないかという思いが、本書のような固有名詞の少ない経済史研究を生み出した。この指向性は、大学院で修士論文を書いていた頃から変わっていないような気がする。

[書き手]堀内義隆(三重大学人文学部准教授)
緑の工業化―台湾経済の歴史的起源― / 堀内 義隆
緑の工業化―台湾経済の歴史的起源―
  • 著者:堀内 義隆
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(286ページ)
  • 発売日:2021-08-18
  • ISBN-10:481581032X
  • ISBN-13:978-4815810320
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植民地下の台湾は、たんに帝国の食糧供給基地にとどまったのではなかった。見過ごされてきた工業化の契機を、豊かな農産品の加工・商品化と、それに伴う機械化・電動化に見出し、小零細企業が叢生する農村からの発展経路を実証、戦後台湾経済の原型をとらえた注目の成果。

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