不確実性への対処が企業の本質
新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が発出された2020年の春、100年前(1918年から1921年にかけて)に流行した「スペイン風邪」が盛んに引用された。だが本書が焦点を当てるのは「死」と「病」、そして得体の知れなさがもたらす「不安」。本書ではそれを「不確実性」と呼ぶ。不確実性とは過去の統計や合理的推論だけでは行動の適否が判定できない状態のこと。1915年から20年頃まで続いた大正バブルに沸く時代の日本の経済社会は、整然と近代化を遂げたのではない。死病という不確実性に向き合う中で形を整えていったのだ。
不確実性に対処するのは国の政策だけでなく、企業の本質でもある。並み以上の利潤は統計分析や合理的推論だけでは得られない。誰もがなしうるからで、不確実な将来に向け特有の決断を下した企業だけが勝ち取る資格を持つ。
著者は各章で、労務管理・消費財流通・株主対応・労働者の自由といったテーマにつき、選ばれうる選択肢と、不確実性の高いこの時期の現実を並べ、コロナ禍の現在に活かすべき教訓を汲み取っている。二択で挙げれば、それまで同様に短期的視野で使い捨てするか、長期的視野から継続性を醸成するかの選択肢があった。
現実をいえば、明治・大正の平均寿命は男性が43~45歳、女性が44~47歳。関西16カ所の紡績工場では1903年で労働者の78%は女性で、寄宿舎は1人当たり占有空間は畳1畳で、11時間労働。寄宿工女の勤続年数は2年に満たず、帰郷して農村に結核を持ち帰る悪弊が認識されていた。
そうした情勢において倉敷紡績の大原孫三郎は寄宿舎でなく社宅を新設して勤続年数を延ばす。1921年に倉敷労働科学研究所、1923年に倉紡中央病院を建設、労働環境の改善と労働者の定着を図って生産性向上を実現し、人的資本の健康と充実が経営を成功に導く例とした。
また大正期までの消費財流通は江戸時代と変わらず、定価もなく行商が主(1896年の広島県で小売りの60%)で、ぼったくりが少なくなかった。これに対し上・中流向けに高品質で豊富な品揃えを展開していた百貨店は1920年代には大衆も射程に収め、現在で言う消費者生協は実用本位の日用品を廉価販売する「新興消費組合」が1919年頃から、賀川豊彦率いる神戸購買組合(現・コープこうべ)が1921年に開設されて、ともども「騙(だま)し」を排除した。
面白いのは1917年に創刊され1921年には25・5万部を売り上げていた『主婦の友』で、「代理部」が通信販売を立ち上げ滋養強壮剤「活力素」をヒット商品にした。会社としても1921年から業務の専門化と編集の組織化を図り、個人の力量に頼るならその個人が死ねば致命傷という不確実性に対処した。スペイン風邪という不確実性下において、経営は長期化を目指したのである。
会社で無駄な時間を過ごす働き方の改革も以前は理想論でしかなかったが、コロナ禍で現実のものとなりつつある。100年前と異なり景気が良くはないが、改革により莫大な利益を上げる会社が登場すれば、雰囲気も一変するだろう。そう期待を抱かせられる経営書だ。