書評
『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)
孤独な探偵が見出した「いま」
カズオ・イシグロの語り手は、人生を変えるかもしれない重要な岐路で、未来よりも過去を選択する。それがかならずしも逃避でないのは、過去の探索がやがて自分自身の現在へ、過去の報告を終えたあとの現在へと跳ね返ってくるからだ。一九三〇年代の上海を中心に展開していく本書の語り手、私立探偵クリストファー・バンクスが担う「わたし」のまなざしも、少年時代の記憶をめぐって、これまでになく激しい歪みを「いま」にさらけ出す。バンクスが私立探偵という職業を選んだのは、上海の共同租界で九歳のとき遭遇した、両親の失踪事件を解決するためだった。幸福な生活を奪われ、孤児となった彼は、叔母を頼って上海からロンドンへ渡り、一九二三年にケンブリッジ大学を卒業。私立探偵として名を馳せたあと、一九三七年、ついに上海に戻って、念願の調査に乗り出す。語りはいきおい現在と過去を複雑に往還し、読者は「わたし」の目線にあわせて、かつて隣家に住んでいた日本人の友人や叔父や養育係の女性などの人物像を、ゆるやかに、かつ切迫した想いでたどっていくことになる。
物語の中心は、共同租界という特殊な空間にある。中国であって中国でなく、植民地のようでいて植民地ではない囲い地。少年時代の「わたし」は、本国のコピーにすらなれないその土地で「もっとイギリス人らしく」なりたいと願い、彼の親友である日本人も「もっと日本人らしく」あろうと努めなければならなかった。租界とは、はじめから虚構の足場なのだ。二十年前の事件を解明する有力な手がかりはこのサンクチュアリの外部にあり、しかも日本軍の侵攻によって消滅の危機に瀕している。だからこそ、守られていない囲いの外へと足を踏み出したとたん、物語は強烈な幻視と情動に染まるのだ。
謎解きがそのまま自分探しにつながるという仕掛けは、一人称の語りからなる私立探偵のミステリでは見慣れたものだが、既成の枠を借りている以上、先の展開を明かすことはルールとして控えなければならない。いずれにせよ、どのような結末が提示されようとも、上海の貧民窟にある目的地をめざして、コンラッドの『闇の奥』にも似た狂気を感じさせながら彷徨する「わたし」の身体とそれを包む時間の大きなぶれ方に、カズオ・イシグロの新境地がある、と言っていいだろう。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 2001年5月13日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
ALL REVIEWSをフォローする








































