書評
『教養のためのブックガイド』(東京大学出版会)
『教養のためのブックガイド』を読む
本書(小林康夫・山本泰編『教養のためのブックガイド』東京大学出版会、二〇〇五年)の「あとがき」にあるように、「きょうようがある」といったら、いまや「今日用がある」と伝わるほうがふつうらしい。であれば、「低いとおもっていても、高いのがプライド。高いとおもっていても低いのが教養」という言葉遊びもできない。「教養」という言葉が輝きを失っただけではない、共通の理解さえなくなりかけている。そんなお寒い状況は、大学の「一般教養」について学生たちが「パンキョウ」と呼び始めたころからである。こんな風潮に媚びるのか、近年は、教養は生きる力だとか、身振りだとか、コンピューター・リテラシーだとか、英会話能力だとかいいはじめる人が少なくない。読書だけが教養の糧ではないにしても、人間が言葉によって世界を理解し、自己表現するかぎり、読書なくして教養がなりたつはずはない。読書を抜きにした近年流行りの教養論は、大衆社会の勉強ノン・エリートに迎合したゆとり教育と同じく、教養ノン・エリートに迎合したゆとり教養論である。
本書は、さすが、大衆とは一線も二線も画したがる東大生を想定した教養ブックガイドだけあって、そんな「ゆとり」教養論にはまっこうから反対する。「本こそ、「教養」の核の形成に最適の、おそらく不可欠のものだ」(はしがき)というきっぱりとした前提から出発している。むしろすがすがしい。
いまなぜ教養かを問うことからはじまり、座談会、コラムと盛沢山。平成の日本人が和漢洋のバランスをもとにした先達の知恵を見直すことを説いた「古典の力」(山内昌之)、そそのかされる読書を論じた「読む快楽と技術」(野崎歓)、読者の地盤そのものが掘り崩されるやもしれない「読んではいけない本15冊」(石井洋二郎)などが格別おもしろい。推奨本は、ホメロスからはじまり三百七十冊。
大学教師は、いま十七万人。旧制中学校教師数のほぼ二倍。そのせいだろう、「高いとおもっているが低いのは」、いまの大学教授の教養である。学生に教養がないと嘆くのは、もうよい。本書あたりを手がかりに、隗より始めよ、といいたい。
週刊文春 2005年5月19日号
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