書評

『群雄創世紀―信玄・氏綱・元就・家康』(朝日新聞社)

  • 2022/12/31
群雄創世紀―信玄・氏綱・元就・家康 / 山室 恭子
群雄創世紀―信玄・氏綱・元就・家康
  • 著者:山室 恭子
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1995-03-00
  • ISBN-10:4022568437
  • ISBN-13:978-4022568434
内容紹介:
武田信玄と上杉謙信の川中島合戦、倹約家の家康、毛利家の三本の矢の譬え=サン・フレッチェ・ストーリー…。講談や時代劇の戦国大名たち。彼らの姿はどこまで史実に迫るのか。伝説はいつ生まれ… もっと読む
武田信玄と上杉謙信の川中島合戦、倹約家の家康、毛利家の三本の矢の譬え=サン・フレッチェ・ストーリー…。講談や時代劇の戦国大名たち。彼らの姿はどこまで史実に迫るのか。伝説はいつ生まれ、だれが育てたのか。歴史学が踏み入らなかった“伝説”の世界に分け入ると、根も葉もある話の誕生の瞬間が見えてくる。力を合わせて家を守る麗しい親子愛話には、関ケ原合戦後の毛利家を取り巻く厳しい背景があったのだ。物語はここから始まる―群雄創世紀。
これは、もしかすると日本の歴史学に不可逆的な変化をもたらす本かもしれない。なぜなら、日本の歴史学ではかつて用いられたことのない独創的な方法論が示されているからだ。

といっても難解な歴史書では決してない。なにしろ「ふうん、川中島ってそういうことだったの、なあるほど、だから、あんなに有名なんだ」といった軽い口語文体で書かれているからである。だが見かけとは裏腹に、内容は時代を画するだけの重厚さを備えている。

テーマは帯にあるとおり「戦国大名の英雄伝説は、いつ生まれ、だれが育てたか」を探ることである。しかし、こうした主題なら、あるいは過去にだれかが手を染めているかもしれない。ユニークなのはむしろ、これまで史料としては使い物にならないとされてきた軍記物などの「伝説」に意外な角度から光を当て、そうした伝説相互の差異の中から浮かびあがる偏差に歴史の定説を覆す真実を見いだそうとした点である。

たとえば、著者は、歴史的には重要な戦いとはいえない川中島の合戦が、伝説ではかくも名高いものになったのはなぜかと問いかけ、それはこの合戦が信玄と謙信との言説の戦いでもあったためではないかと推測する。そして、その裏付けとして、両雄が部下の武勲を証明するために出した「感状」や、願いを神前に奉納する「願文」といった一次史料を調べあげ、彼らが、これらの文書という形式を借りて、世間、とりわけ領地の民にむけて自らの正当性や勇敢さを訴えるプロパガンダ合戦を展開して、政権への求心力を加速しようとしたことを証明する。

川中島の合戦は、民意を結集するための核として機能したというわけである。(……)そして、そうした機能を果たした戦いであったからこそ、人々の脳裏にこの合戦の記憶が強く刻印され、時を経て大会戦の伝説へと結晶してゆくこととなったに相違ない。やはり伝説が誕生するには、それなりのわけがあるのである。

伝説といえば、川中島に劣らぬほど有名なのが、毛利元就が三人の息子に与えたという三本の矢の話である。伝説のルーツ探しを始めた著者は『毛利家文書』の元就の書状「日頼様御一通」に行き着くが、そこでふと、なぜこの書状だけが選ばれて有名になったのかと考える。「元就のわが子を思うせつせつたる心情の発露が万人の胸を揺さぶって語り継がれるに至ったのだと、ロマンチックに解釈されているが、ほんとうにそうだろうか」。そこで、この手紙を選んで家中に公開した輝元(元就の嫡子)に注目する。というのも、手紙公開の時期が、天下分け目の関ケ原合戦の時と重なるからだ。すなわち、西軍に加担して敗れた輝元は、お家取り潰(つぶ)しという家康の桐喝(どうかつ)におびえ、毛利一族団結のシンボルとして、この「日頼様御一通」を急遽(きゅうきょ)かつぎ出すことを思いついたのである。

毛利元就に関しては、これ以外にも元就ファンが真っ青になりそうな驚くべき偶像破壊的新説が鋭い推理と綿密な実証によって説得力をもって展開されているが、それは読者が本書を手に取るときのお楽しみとすることにしよう。それほどにこの部分は「すごい」のだ。ほかに北条氏綱、徳川家康などについても、鋭い伝説の解読作業が行われている。

教訓。伝説とは、伝説を信じさせようと努力した人に対して、未来が与える報酬である。

【この書評が収録されている書籍】
歴史の風 書物の帆  / 鹿島 茂
歴史の風 書物の帆
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2009-06-05
  • ISBN-10:4094084010
  • ISBN-13:978-4094084016
内容紹介:
作家、仏文学者、大学教授と多彩な顔を持ち、稀代の古書コレクターとしても名高い著者による、「読むこと」への愛に満ちた書評集。全七章は「好奇心全開、文化史の競演」「至福の瞬間、伝記・… もっと読む
作家、仏文学者、大学教授と多彩な顔を持ち、稀代の古書コレクターとしても名高い著者による、「読むこと」への愛に満ちた書評集。全七章は「好奇心全開、文化史の競演」「至福の瞬間、伝記・自伝・旅行記」「パリのアウラ」他、各ジャンルごとに構成され、専門分野であるフランス関連書籍はもとより、歴史、哲学、文化など、多岐にわたる分野を自在に横断、読書の美味を味わい尽くす。圧倒的な知の埋蔵量を感じさせながらも、ユーモアあふれる達意の文章で綴られた読書人待望の一冊。文庫版特別企画として巻末にインタビュー「おたくの穴」を収録した。

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群雄創世紀―信玄・氏綱・元就・家康 / 山室 恭子
群雄創世紀―信玄・氏綱・元就・家康
  • 著者:山室 恭子
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1995-03-00
  • ISBN-10:4022568437
  • ISBN-13:978-4022568434
内容紹介:
武田信玄と上杉謙信の川中島合戦、倹約家の家康、毛利家の三本の矢の譬え=サン・フレッチェ・ストーリー…。講談や時代劇の戦国大名たち。彼らの姿はどこまで史実に迫るのか。伝説はいつ生まれ… もっと読む
武田信玄と上杉謙信の川中島合戦、倹約家の家康、毛利家の三本の矢の譬え=サン・フレッチェ・ストーリー…。講談や時代劇の戦国大名たち。彼らの姿はどこまで史実に迫るのか。伝説はいつ生まれ、だれが育てたのか。歴史学が踏み入らなかった“伝説”の世界に分け入ると、根も葉もある話の誕生の瞬間が見えてくる。力を合わせて家を守る麗しい親子愛話には、関ケ原合戦後の毛利家を取り巻く厳しい背景があったのだ。物語はここから始まる―群雄創世紀。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1995年5月22日

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