書評

『永遠のジブラルタル』(講談社)

  • 2023/12/28
永遠のジブラルタル / 青野 聡
永遠のジブラルタル
  • 著者:青野 聡
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(327ページ)
  • 発売日:1999-06-00
  • ISBN-10:4062096153
  • ISBN-13:978-4062096157
内容紹介:
そして、夏がきた。知のネットワークに躍動する魂の漂泊者たち。生の十字路を凝視して豊饒に展開する、青野文学の秀作。妻と別れ、勤めを辞めた大日向陽太郎の前に突然現われた男・呉竹良房。かつて一緒にスペインを放浪したこの男は、連れてきた少女を、大日向の娘だという。

ゆるやかなスクラム

大手出版社の嘱託としてヨーロッパに派遣されていた大日向陽太郎は、パリの旅行代理店に勤める呉竹良房夫妻と知り合う。正確には呉竹の妻である道江に惹かれて関係を結んだ大日向が、彼女の夫でしかない呉竹ともつきあったというにすぎないのだが、道江から新しい恋人ができたので別れてくれと一方的に告げられて、蜜月は絶ち切られた。ほどなく帰国した大日向は、たまたま同時期にひきあげてきた呉竹の家に招かれ、そこで再会した道江といったんよりを戻すものの、妊娠とともにふたたび相手の方から関係を閉じられてしまう。父親が誰なのかをついに明かされぬままに。

『永遠のジブラルタル』の現在は、彼らの出会いからほぼ十年後に設定されている。会社の転勤命令を機に辞職し、いまや妻とも別れて気ままなひとり暮らしを楽しんでいる大日向のもとへ、呉竹が亡霊のように姿を現わす。この冴えない男の、偶然を装う芝居じみた登場の仕方には、冒頭で明示されているとおりじつは下敷きがある。いや、呉竹のみならず本書の登場人物たちの原型は、いずれもその先行作に、つまりドストエフスキーの『永遠の夫』に見出されるのだ。ジブラルタルに冠された言葉も、だから当然この小説からの「引用」なのである。呉竹に相当するのはパーヴェル・パーヴロヴィチ・トルソーツキイ。道江に対応する彼の妻ナターリヤ・ヴァシーリエヴナと大日向陽太郎にあたるヴェリチャーニノフは、ジブラルタルならぬ片田舎のT市で知りあって肉体関係に陥るのだが、身ごもったナターリヤからやはり別れを告げられてしまう。そして九年後、かつてT市で過ごした月日が忘れられないらしいトルソーツキイが娘をつれてだしぬけに姿を現わし、妻の死を伝える――そんなぐあいに、人物の配置から構成にいたるまで、本書は『永遠の夫』に対して正面からぶつかっていく。

物語の焦点は、登場人物である大日向自身が、みずからの身にふりかかった悪霊のごとき呉竹の存在をめぐってドストエフスキーとの関連を意識するという入れ子構造にある。ロシアの大文豪の、かならずしも代表作には数えられていない作品について、これ以上完成された小説があるだろうかと述べたヘンリー・ミラーの評言に導かれるように翻訳をひもといた大日向は、しばらく読み進めたところでミラー以上に謎めいた一節にぶつかって困惑する。ヴェリチャーニノフが鬱々とした気分を解消したいと医者の友人に相談したところ、冗談まじりにこう忠告されたというのだ。いちばんいいのは生活様式を徹底的に変えることだ、食事を変えたり旅に出るのもいい。そして「もちろん、下剤も役に立つ」と。問題は、「下剤」の一語である。なぜ「下剤」なのか。明確な答えなど出しようもないとはいえ、彼の日常のかすかな亀裂に楔を入れた呉竹の言動は、結果としてまさに「下剤」の役割を果たすことになる。

もっとも、ドストエフスキーを読んでいなければ物語を味わえない書き方は回避してあるので、二作の対応関係をいちいち頭に入れる必要などありはしないのだが、作者が重層的な読みの快楽を与えるべく最初の頁から仕掛けをあかしている以上、双方に目を届かせるのが望ましいだろう。『永遠の夫』の語り起こしの一文、「夏が来た」を、「そして、夏が来た」となぞった瞬間、ドストエフスキーと青野聰の世界はたがいにたがいのアンチテーゼとして、すでに複雑精妙な音楽を奏ではじめているのだから。

ヴェリチャーニノフとトルソーツキイの関係を大日向と呉竹のそれに転位させるに際して作者が打ち出したのは、呉竹が極端な言動に走るばかりの社会から浮いた人間ではなく、むしろ大日向とは表裏一体の、相手の無意識を映し出す鏡だということである。ふたりがいくらかでも親しげに行動したのは、遠くフランス時代、ジブラルタル海峡へ車で旅をしたときだけなのだが、呉竹は妻と大日向の情事を承知のうえで寝取った相手になぜか友愛の念を抱き、とりわけこの旅をなにものにもかえがたい貴重な思い出としてことあるごとに持ち出しては「いま」を揺さぶろうとする。ところが大日向の方は、ヴェリチャーニノフ同様、呉竹を生涯ひたすら夫であることに終始し、それ以上のなにものでもないようつとめる「永遠の夫」としか見ていないため、話は旅先で病死したという道江を媒介にしないかぎり平行線をたどる。呉竹は浮気性の細君の添えものであって、「ちょうど太陽が輝かずにはいられないように、妻に不貞をされずにはすまない。それでいて、当人はこのことを全然知らないばかりか、自然の法則そのものによって、決して知らずにすむことにもなる」(『永遠の夫』)といった、哀れな男にすぎないのだ。

呉竹のように分裂気味の言葉を吐きつづけ、ひたすら身勝手で粘着質な人物は現代の日本文学にあってずいぶん稀少だから、それだけでもう強烈な印象を残すのだが、じつのところ彼の本性は、大日向のような男を前にしたときでなければあらわにならない。別れた妻が指摘するように、大日向は対人関係において強固な「スクラム」を組まず、誰にも帰属しない自在な行動を旨とし、男であれ女であれ過度に近づくことを警戒する本質的な放浪者なのだ。「腕を、はずしやすいようにゆるやかに組むのがスクラムというものだ。きつく組んだために、はずすべきときにはずせなくなって、一人がコケたらいっしょにコケて骨折するなんていうのは愚の骨頂だ、人間をばかにしている、そういう話をきくと、オレ自身が冒瀆されたように感ずる」。女性の側からは魅力的に映じるかもしれないそんな醒めた姿勢が、最も身近な他者である妻に寄生して生きている男をいらだたせる。逆に、呉竹のパフォーマンスがなければ、大日向の立ち位置は否応なくずれてしまうことになるだろう。しかし現時点で身の周りに生起している厄介事に、彼はさほど熱をこめて向き合ってはいない。事変に対するヘンリー・ミラーの距離の取り方に親近感を抱く男にとって、日常を脅かす突発事からすばやく逃れるために、横隊は極力柔軟に組まなければならないのである。

ドストエフスキーとの関連も、結局は「似ているだけでそれ以上ではない」と、ゆるやかなスクラムにとどめる大日向陽太郎こそ、じつは二十世紀末の現在において精神の放浪が可能か否かを問いつづけている青野聰の過去の主人公に近しい存在なのであり、彼には一歩まちがえば呉竹とおなじ境遇に転落する危険もはっきり見えている。『永遠の夫』では病死する娘を明るく生かしたところにも、あらたな困難への覚悟が刻まれているのではないだろうか。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

永遠のジブラルタル / 青野 聡
永遠のジブラルタル
  • 著者:青野 聡
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(327ページ)
  • 発売日:1999-06-00
  • ISBN-10:4062096153
  • ISBN-13:978-4062096157
内容紹介:
そして、夏がきた。知のネットワークに躍動する魂の漂泊者たち。生の十字路を凝視して豊饒に展開する、青野文学の秀作。妻と別れ、勤めを辞めた大日向陽太郎の前に突然現われた男・呉竹良房。かつて一緒にスペインを放浪したこの男は、連れてきた少女を、大日向の娘だという。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

新潮

新潮 1999年9月

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
堀江 敏幸の書評/解説/選評
ページトップへ