手堅い考証で日記を読む手本示す
本書はクララ・ホイットニーという、一八六〇年生まれのアメリカ人女性の手になる日記を手掛かりに、明治史を読み直そうとしたものである。クララは一八七五年八月三日、父親の仕事で来日し、二十五歳のときに勝海舟の三男梅太郎と結婚した。長らく日本に滞在し、「勝海舟の嫁」として知られる人物である。
彼女は遅くとも十二歳のころから日記をつけ始め、東京で過ごした日々の中で見聞きしたことをつぶさに書きとどめている。著者はクララの日記を素材に、丁寧な読みと周到な調査を通して、明治史の知られざる一面を再現してくれた。
文化史の過去を追うのに、人々の集まる場面に注目するのは優れた着想である。クリスマス・パーティー、貴顕の人の葬列、博覧会の閉幕式、外国要人の歓迎宴会など、公的なものであろうと、私的なものであろうと、社交の場には交わされた言葉があり、人々の表情やしぐさがあり、人と人とのつながりがある。そこにはさまざまな人間の関係性が示されており、時代の息吹を感じ取ることができる。また、会場の設営や飾り付け、参加者の着衣や振る舞いなどからも文化史の大切な細部が見えてくることがある。イベントを主催する側の意図や、実現させるための努力から、明治人が必死に目指していたことや、国造りの様子がくっきりと浮かび上がってきた。
とりわけ印象に残ったのは、グラント前アメリカ大統領歓迎の夜会と、明治天皇の観桜会についての考察である。行事の進行、途中の音楽演奏、会場での談笑、参加者の顔ぶれから、その服飾や面持ちにいたるまで、若い女性の目を通して観察されている。いずれも公文書にもメディアの報道にも見られない、生の人間の動きである。
しかし、本書はクララの日記をただなぞっただけではない。彼女の記述をもとに、幅広い資料調査を行い、その全体像に迫ろうとしている。緻密な考証を通して、日記に書かれていないことも明らかにされている。
日記は時系列に沿ってつけられているとはいえ、記述されていることは必ずしもつねに時代の主流と同期(シンクロナイズ)しているとはかぎらない。日々の綴(つづ)りは個人や家庭生活を中心としており、政治や経済の大きな流れから外れる場合も少なくない。著者はそのことを逆手に取り、個人的な往来に社会的、文化的な意味を見いだし、激動の時代のもう一つの顔を見事に描き出した。
ホイットニー家は来日前から日本人外交官や留学生と付き合いがあり、来日後もお雇い外国人に近い立場ゆえに、明治期の旧大名や華族や外交官らと幅広い交際があった。そうした人と人との交流を通して、政治家や財界人や社会活動家たちだけでなく、近代化を推進する人たちの家族がどのように西洋の言語や文化を習い、いかに交流の輪に加わっていたかが解き明かされている。
日記は個人的な言語行為で、一般に公開することは想定されていない。作為や虚飾が少ない半面、書き手の関心によって記述対象が狭く限定されることがある。また、書き手の記憶違いや勘違い、あるいは記述のまちがい、記述の漏れも免れないであろう。
著者は浩瀚(こうかん)な資料や先行研究を渉猟し、たとえ小さな疑問点でも、必ず一次資料と照らし合わせて、丁寧な検証を通して一つ一つ辛抱強く事実確認をしている。そうした努力のおかげで、新しい発見はいくつも導き出されている。日記から歴史を読む面白さだけでなく、いかに読むべきかについても見事な手本を示している。