書評

『パサージュ論』(岩波書店)

  • 2020/08/23
パサージュ論 / W・ベンヤミン
パサージュ論
  • 著者:W・ベンヤミン
  • 翻訳:今村 仁司,三島 憲一
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(480ページ)
  • 発売日:2003-06-14
  • ISBN-10:4006001010
  • ISBN-13:978-4006001018
内容紹介:
パリにナチスが迫る間際まで書き綴られた膨大なメモ群はバタイユらに託され、かろうじて生き残った。一九世紀パリに現われたパサージュをはじめとする物質文化に目を凝らし、人間の欲望や夢、ユートピアへの可能性を考察したベンヤミンの畢生の労作。近現代社会分析の基本文献。断章番号順の構成で、待望の文庫版刊行開始。
舌切りスズメの童話でお爺さんとお婆さんがもらったつづらに入っていたおみやげは、実は同じものだったのではなかろうか。つまり、お婆さんにとってはゴミか有象無象に見えたものが、お爺さんにとっては宝の山と映ったということである。

ベンヤミンがナチに追われてパリを去る直前にジョルジュ・バタイユに託した、『パサージュ論』の膨大な草稿についても、これと全く同じことがいえる。すなわち、パサージュ(=通り抜けのアーケード)、万国博覧会、遊歩者、モード、室内などといった、従来は文化的ファクターとさえ見なされていなかった要素に着目することで、逆に、「近代性」の原点である十九世紀パリが照射できるのでないかと考えたベンヤミンが国立図書館にこもって作り上げた無数の引用と短い要約だけから成る本書は、一見、無意味な資料の山にしか見えないにもかかわらず、引用と引用が併置されたときに生まれる磁力のようなものに敏感に反応する人間には宝の山と映るということである。

実際、なんという魅力的な引用の洪水であろうか。三文作家やごろつきジャーナリストが書き残したにすぎないパリの探訪記事が、ベンヤミンの手によって見いだされ、切り取られ、「流行品店」「鉄骨建築」「パノラマ」などという意外な項目の書かれた袋の中にまとめられたとき、それはシュールレアリストのコラージュのように、本来の使用価値を離れて、新しい価値をもち始めるのである。

しかも、なんともうれしいことに、思っていたよりも、はるかに多くのベンヤミン自身の言葉が引用の間にはさまれている。

商業のロートレアモンとランボーに及ぼした影響を跡づけてみることが必要である!

ボードレールの『大都会の宗教的陶酔』について。百貨店とはかかる陶酔に捧げられた寺院である

もちろんこうした短い覚え書きだけではなく、多少長めの考察もある。たとえば「モード」の項の次のような省察はモードの重要性を指摘した先駆的な発言ではなかろうか。

哲学者がモードに熱烈な関心をそそられるのは、モードがとてつもなく未来を予感させてくれるからである。(……)新しいシーズンが来れば、その最新の服飾のうちには来るべきものを告げるなんらかの秘密の旗印が必ず含まれている。その信号を読む術を心得ている者ならば、芸術の最新の傾向ばかりでなく、新しい法典や、戦争や革命のことまで予(あらかじ)め先取りして分かってしまうことだろう

まったく、引用していると、ベンヤミンの引用の魔が乗り移ってきて、次々にお目にかけたい文句があらわれてくるのでここらでやめておくが、思想というものが書かれた量ではなく質で判断されるべきなら、引用の間に時としてあらわれるベンヤミンの一句は、ゆうに数巻の書物に匹敵するといっていい。

ゴミの山か宝の山か、判定は読者にまかされている。訳文は、十分にこなれていて読みやすい。

【この書評が収録されている書籍】
歴史の風 書物の帆  / 鹿島 茂
歴史の風 書物の帆
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(368ページ)
  • 発売日:2009-06-05
  • ISBN-10:4094084010
  • ISBN-13:978-4094084016
内容紹介:
作家、仏文学者、大学教授と多彩な顔を持ち、稀代の古書コレクターとしても名高い著者による、「読むこと」への愛に満ちた書評集。全七章は「好奇心全開、文化史の競演」「至福の瞬間、伝記・自伝・旅行記」「パリのアウラ」他、各ジャンルごとに構成され、専門分野であるフランス関連書籍はもとより、歴史、哲学、文化など、多岐にわたる分野を自在に横断、読書の美味を味わい尽くす。圧倒的な知の埋蔵量を感じさせながらも、ユーモアあふれる達意の文章で綴られた読書人待望の一冊。文庫版特別企画として巻末にインタビュー「おたくの穴」を収録した。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

パサージュ論 / W・ベンヤミン
パサージュ論
  • 著者:W・ベンヤミン
  • 翻訳:今村 仁司,三島 憲一
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(480ページ)
  • 発売日:2003-06-14
  • ISBN-10:4006001010
  • ISBN-13:978-4006001018
内容紹介:
パリにナチスが迫る間際まで書き綴られた膨大なメモ群はバタイユらに託され、かろうじて生き残った。一九世紀パリに現われたパサージュをはじめとする物質文化に目を凝らし、人間の欲望や夢、ユートピアへの可能性を考察したベンヤミンの畢生の労作。近現代社会分析の基本文献。断章番号順の構成で、待望の文庫版刊行開始。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1993年10月25日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

関連記事
鹿島 茂の書評/解説/選評
ページトップへ