現代社会のあり方を逆照射
十六文字も漢字が並んだ表題は珍しい。博物館から珍鳥の標本が盗まれるという、珍しい事件にふさわしいというべきか。原題は単純に「羽毛泥棒」である。二〇〇九年六月、ロンドン郊外トリングにある大英自然史博物館の分館から、二九九体の鳥の標本が盗まれた。犯人はアメリカ生まれ、ロンドン王立音楽院でフルートを学ぶ学生、エドウィン・リストである。まだ二十歳になっていなかったはずである。
著者はこの事件に強い関心を抱いた。米軍撤退後のイラクで、米国に移住や亡命を希望する人たちの世話をする仕事に疲れて、フライ・フィッシング、つまり渓流釣りを始めたからである。釣りはストレスの解消に非常に良かった。その時のガイドから毛針のことを学んだ。
フライ、すなわち毛針は、じつに凝ったものである。日本では渓流に住む虫に似せたものも多い。しかし十九世紀の英国では、鳥の羽毛を利用した。これがなんとも美しい。ほとんど芸術品、細工物である。そのためにとくに美しい鳥の羽を使った。どのようなものか、説明してもムダであろう。本書には写真が入っているから、それを見れば一目でわかる。エドウィンは子どもの頃から毛針に魅入られ、毛針作りの才能を発揮し、愛好者から将来を嘱望されていた。
エドウィンはトリングの博物館の窓ガラスを破って侵入し、標本はスーツケースに入れて持ち去った。フウチョウやヒヨクドリのような美しい羽の鳥である。フウチョウは極楽鳥という一般名で知られている。こうした鳥の羽の一部が毛針に使われる。その部分だけを取って、愛好家に売ることもできる。数万円から数十万円の値段が付く。
盗難の発見はやや遅れたが、エドウィンは逮捕され、一切を自供する。ただし盗品の一部はすでに手が付けられ、ラベルが外されていた。無傷で戻ったのは一〇二点だった。エドウィンは裁判にかけられるが、アスペルガー症候群だという弁護側の主張が認められ、執行猶予付きの判決となった。
以上は事件の筋書きである。しかし本書はそれだけを述べているわけではない。まず歴史的な背景がある。毛針の歴史を詳しく知らないと、なぜ特定の鳥の羽だけが珍重されるのか、それがわからない。さらにそのまた背景には、羽が商業的に一般に出回った、大英帝国最盛期の社会状況がある。一羽の鳥全体を帽子にするというファッションまで生じ、一部の鳥の羽毛は金と似た価格がついた。
トリングの博物館分館は、ウォルター・ロスチャイルドの個人的な博物館だった。ウォルターの死後、自然史博物館に寄贈された。ウォルターは蝶(ちょう)の蒐集(しゅうしゅう)で著名で、標本はいまでは自然史博物館の本館に移され、トリングは鳥類部門になっている。いったい博物学の標本を保存する意味はどこにあるのか。取材の過程で著者はその議論にも出会う。
人はさまざまな自然物に強い関心を抱く。私は虫が好きだから、それはよくわかる。毛針の場合には、それが芸術作品や工芸品への情熱とも結びつく。さらにそれが経済や法律という、社会の約束事と関わり合う結果となる。博物館の鳥の標本を盗むというのは、ふつうの人の生活とは無関係な、いわば社会の辺縁の出来事であろう。それを描くことによって、著者は歴史を含めて、現代社会のあり方を逆照射していく。そこがじつに興味深いのである。