書評
『水中の驚異(ファンタスティック12)』(リブロポート)
諸君はよくパリの町でポンスのような男やマギュスのような男が、向こうから歩いてくるのを見かけたことがあるだろう。彼らの身なりは至って貧乏くさい。……何事があっても澄ましているし、どんなことにも驚かないし、女の顔や店の様子に一向注意を払わずに、財布を空にして脳味噌(のうみそ)をどこかへ置き忘れてきたような格好で、言ってみれば、まず行き当たりばったりに歩いている。で、諸君は不審に思うだろう、いったいこういう連中はパリのどの部族へ入れたらいいんだろうと。ところが彼らは百万長者なのである。収集家なのである。この世で最も熱狂的な先生方である。(バルザック『いとこポンス』)
博物学、旅行記、寓意本の大コレクターとして知られる荒俣宏氏の編著になる、西洋グラフィック・アートの遺産を発掘する全十二冊のシリーズ『ファンタスティック12(ダズン)』がリブロポートより創刊された(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は1990年)。これまで荒俣氏は『図像観光』『帯をとくフクスケ』をはじめとする多くの著作で、その巨大な図像コレクションの一端を披露しつつ、他に類を見ない優れた図像解釈で我々を驚嘆させてきたが、このたびのシリーズは、『世界大博物図鑑』とならんで氏の集大成となるものであり、荒俣コレクションの全貌に触れてみたいと常々念じていた我々ファンにとっては、またとない贈り物である。
ところで、幻想文学研究者であった頃から、荒俣氏の姿勢は常に一つの強烈なパッションに貫かれていた。それは驚異(メルヴェーユ)に対する限りない憧(あこが)れ、情熱である。いや、こう言ったのでは正確ではない。むしろ驚異を作り出したり、探し求めた者に対する一体感、驚異に対するまなざしの共有と言ったほうがいい。博物学や旅行記は、この地球上に存在する驚異を探査し、採取し、観察し、記述し、図像化し、考察したドキュマンだが、荒俣氏はこの地球上に存在するこうした驚異のドキュマンを探査し、採取し、観察し、記述し、図像化し、考察する。博物学や旅行記が自然の驚異を対象としていたとするなら、荒俣氏は、博物学や旅行記という驚異、とりわけ驚異の結晶である図像を対象としている。一言でいえば、氏の著作はすべて一種の博物学・旅行記、つまりメタ博物学、メタ旅行記である。したがって、本シリーズは、単に氏の膨大なコレクションから驚異の図像をセレクトし分類したものなどではなく、驚異を図像化するために先人たちが編み出したグラフィック・アートの叡知(えいち)、「自然には絶対に存在しない大脳の内側のパノラマ」を、メタ博物学者、メタ旅行記作者として読み解いた「目玉と頭脳の大冒険」なのである。
しかしコレクションの集大成という観点からだけ見ても、これはまさに途方もないとしか形容のしようのないシリーズである。筆者も、書物コレクターの端くれとして、ここに集められた図版本の価値を少しは知っている。いずれも、過去十年のオークション・カタログにせいぜい一度か二度、しかも書物の値段としては、日本人の想像をはるかに越えた価格で登場している本ばかりである。なかには一度もオークションに出たことのないウルトラ級の稀覯本(きこうぼん)さえある。たとえ、このシリーズが売れに売れたとしても原価の回収はとうていおぼつかないだろう。最後に冒頭にひいたバルザックの一節に対してベンヤミンの加えたコメントを引用してこの稿の締めくくりとしよう。
バルザックはふつう人々が収集家を頭に描くときそうするように、在庫品目録の猟場の猟師としては描かない。彼の描くところのポンス、エリー・マギュスを心底からうち震えさす感情は誇りである。すなわち彼らが倦(あ)むことを知らない配慮をもって保護している無類の財宝に対する誇りである。バルザックはすべてのアクセントを所有する者の描写においている。そして百万長者という言葉を彼は収集家という言葉の同義語として使っている。(ベンヤミン『エドゥアルト・フックス――収集家と歴史家』好村冨士彦訳)
①水中の驚異 ②神聖自然学 ③エジプト大遺跡 ④民族博覧会 ⑤地球の驚異 ⑥悪夢の猿たち ⑦熱帯幻想 ⑧昆虫の劇場 ⑨極楽の魚たち ⑩バロック科学の驚異 ⑪解剖の美学 ⑫怪物誌
【この書評が収録されている書籍】
図書新聞 1990年11月24日
週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。
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