書評

『「花・ベルツ」への旅』(講談社)

  • 2019/10/26
「花・ベルツ」への旅 / 真寿美 シュミット・村木
「花・ベルツ」への旅
  • 著者:真寿美 シュミット・村木
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • ISBN-10:4062065088
  • ISBN-13:978-4062065085

花の素顔を探して

一日百冊近く新刊が出るという。その中で何を読めばいいか、分からないとの声もきく。私はこれから“女の女による女のための”本をとりあげてみたい。女性の作品をはげまし、その中から読んで決して損はしないものをよりすぐって紹介したいと思う。

まずは『[花・ベルツ]への旅』(講談社)。花は国際結婚のスターである。夫は明治九年に来日し、日本医学の基礎を築き、皇室の侍医をつとめたエルウィン・ベルツ。ベルツ水にも名を残しているし、草津温泉を有名にした人でもある。彼の正式の妻となったのが花さんで、いままでは才色兼備、好伴侶、内助の功、婦人の鏡と最大級の美辞麗句で飾られてきた。

果たしてそうなのか。著者のシュミット・村木さんもドイツ人医師の妻である。夫の国で暮らし、そこで子育てをする疎外感、異文化ゆえの夫婦の葛藤に長く苦しんできた。そんなきれいごとなはずがない、と国際結婚を疑いだしたころ、同じくドイツ人医師の妻となった花に出会う。人ごととは思えない。

伝手を頼ってゆかりの人を探す。最初に花の孫ゲルヒルトが見つかった。花は昭和十二(一九三七)年、七十三歳で生を終えた。一度も花に会ったことのない孫娘は、祖母のくれた着物や着せかえ人形を大切にしていた。

花はベルツの一族の中でも宮中の女官とか良家の娘と思われていたらしい。しかし当時、相応の家の娘は「夷狄(いてき)」への偏見があり近づかなかったはず、と著者は江戸の切絵図を見、菩提寺を探し、戸籍を取り寄せる。

この花の実像調査が、ややこしいけれどもスリリングで本書の目玉である。じつは、花さんこと荒井はつは武士の娘ではなく、神田明神下に生まれた町娘だった。父は上野で洋物商をしていた。上野戦争では命からがら逃げた。そして先に芸者だった母そでが最初にベルツの「身の回りの世話」をしていたらしい。

こうして「貞淑な良家の娘」から「利発でしっかり者の江戸っ子」へと、花のイメージが転換される。読んでいるうちに、私は花が前よりずっと好きになっていた。

明治十四年ごろ、すでにベルツと十八歳の花は愛し合っていたが、子どもは「私生児」として届けられている。しかしベルツが故国でのキャリアを捨て、二十八年も日本にいたのは花への愛情のせいなのはたしかだ。写真でみる花は美しい。人柄の清楚もしのばれる。

著者はゆかりの人々をたずね、ドイツでの花の姿を浮び上がらせる。水中花を喜んだ花、どこへいくのにも胡椒を持ち歩いた、庭のバラの枝を薪にし、おまるの中身をこやしにして一族の眉をひそめさせたエピソード。異文化のはざまで、ちょっと滑稽にすら見えるくらい精一杯に生きた女性。

戦争がベルツ像をも大きくゆがめた。ゲルマン民族のいわれなき優越感を嫌悪したコスモポリタンのベルツが、ナチスによって日独医学交流の花形とされた。「日本医学界では日独同盟で活躍した人が戦後も交流を担った。ナチはドイツだけではない」と著者はいう。

もう一つの花の不幸、それは一人息子のトクが文化的に根のない人間に育ったことだ。才能はあったのに大成せず、ナチスに加わった彼により「ベルツの日記」は大幅に改ざんされているという。

文化は同じ比重では存在し得ない。どこかに根を下ろして、何かを中心に他のものを用心深くとり入れていった方がいいのだ。

著者はトクを他山の石とする。この言葉は自身の子育ての体験に裏打ちされている。夫と自分、子どもとの抜きさしならぬ関係と、五年の歳月と多大な旅費をかけて打ち込んだ本だけに、重い。

【この書評が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
本の中の人物に憧れ、本を読んで世界を旅する。心弱く落ち込むときも、本のおかげで立ち直った…。家事が片付き、子どもたちが寝静まると、私の時間。至福の時を過ごした本の書評を編む。

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「花・ベルツ」への旅 / 真寿美 シュミット・村木
「花・ベルツ」への旅
  • 著者:真寿美 シュミット・村木
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • ISBN-10:4062065088
  • ISBN-13:978-4062065085

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毎日夫人(終刊)

毎日夫人(終刊) 1993年~1996年

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