解説

『幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟』(筑摩書房)

  • 2017/07/06
幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟 / 谷川 渥
幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(301ページ)
  • 発売日:2000-10-00
  • ISBN-10:4480085815
  • ISBN-13:978-4480085818
内容紹介:
世界を地図に収め、あるいは自らのなかに世界を照射し、空想の土地をめざして旅立っていった作家たち。海の彼方の安らかな母胎トマス・モア『ユートピア』島、ヴェルヌ『海底二万里』のネモ船… もっと読む
世界を地図に収め、あるいは自らのなかに世界を照射し、空想の土地をめざして旅立っていった作家たち。海の彼方の安らかな母胎トマス・モア『ユートピア』島、ヴェルヌ『海底二万里』のネモ船長の壮絶なる孤独、ポオやメルヴィルが描いた底もなく深い霊魂の姿たる神秘の大洋、ウェルズや久生十蘭らが幻視した地下世界…想像力の地平は無限だ。文学史における空間的・地誌学的思考とその表象の連綿たる系譜を類型論的にたどり、貴重な図版多数とともに解き明かす驚くべき幻想文学誌。スリリングな知的冒険が始まる。
だが、類型学を試みるときには、絶対に必要な資質がある。それは、逆説的なことだが、単純な切り捨てを避けて、多義的な事象は、そのようなものとして本質を考えなおすという非類型的な思考である。いいかえれば、類似を見抜くよりも、差異に心を配る姿勢がなければ優れた類型学はできないのだ。

そのことを端的に示すのは、ユートピア文学を「円のドグマ」という類型で一つの箱の中に押し込めてしまわずに、それが発生してきた時点にもう一度立ち返ることで、それがもう一つの類型によって貫かれていることを指摘する次のような箇所だ。

ユートピア空間の本質は、しかしながら、こうしたルネサンス的『理想都市』、あるいはそれを支える『円のドグマ』に還元されるとみなしてことたりるわけではなさそうだ。こうした西洋のユートピア空間が『島』として海の上に存在するという決定的な点を考慮に入れていないからだ。

すなわち、著者はジャン・セルヴィエの『ユートピアの歴史』に拠りながら、「海」に浮かぶ「島」としてのユートピア空間は、母の胎内、「子宮の羊水に漂う比類ない平和」への夢であるという、もう一つの類型を導き入れて、こう結論するのである。

航海の果てに見いだされる島は、幾何学的な子宮にほかならなかった。換言すれば、ユートピアとは計画整備された都市と母胎の重ね合わせ、都市としての母胎であり、母胎としての都市なのである。月のイメージで語られようが、あるいは太陽のイメージで語られようが、それは憎悪も抗争もなく永久に平和と調和とが君臨する、ニルヴァーナ的共生の世界なのだ。



しかしながら、この「幾何学的な子宮」の章においては、それでもなお、美学者としての類型への志向がまだ勝っている。つまり、差異よりも類似を追求する姿勢が明らかなのだ。

ところが、第二章の「プロスペローの魔島」からは、類似を求める姿勢以上に、差異に価値を置こうとする態度があらわになってくる。たとえば次のような箇所。

プラトンの理想国に対比しつつモンテーニュが素描してみせた『自然状態』の神話の粗型ともいうべき一節は、それを引き写したとおぼしいシェイクスピアによって『植民統治』の枠をはめられる。つまりモンテーニュにおいては、あくまでどこかにあるべき『自然状態の描写』であったものが、シェイクスピアにおいては、これから(ヨーロッパ人によって)つくり上げられるべき人為的な理想状態として語られるのだ。

したがって、ここからは、著者が追求するのは、狭い意味での「想像力の類型」ではなく、多くの差異を包括した上でなお現れてくる類型、というよりも「想像力の原型」となってくる。

すなわち、トドロフがやったような記号学的なアプローチによる想像力の類型の別出でなく、「月」「海」「地底」「砂漠」「密林」「人体」などの大きな幻想的な類似のテーマを基礎として、想像力の「差異」が描きだす複雑な模様のパターンを呈示することに努力が注がれるのである。差異を削ぎ落として類型へと絞り込むのではない。差異をいくつも重ね合わせることでモンタージュのように現れてくる総合的な「原型」のあぶりだしが目的となるのだ。

その方法は、著者が美学者としてこれまで採用してきたメタフォリック(隠喩的)なものではなく、メトニミック(換喩的)なもの、つまり隣接的なものになる。たとえば、「月――空に浮かぶ島」の章では、高山樗牛の「月夜の美感に就いて」で始まった月を巡る考察が、さながら連想ゲームのごとくに、この世ならぬ雰囲気、夜の世界、休息、狂気、顔、鏡、空の島、あべこべ世界、天動説、あばた顔、望遠鏡、チーズとうじ虫、胡桃の中の世界と、月のイメージを順次たぐり寄せながら、博引旁証で古今東西の「月」の文献を列挙してゆくが、そのイメージのリレーは、たとえてみれば、いろいろな元素が次々に加わって刻々変化する有機化学の式を思わせる。つまり、どんなに外観が変わろうとも、Cと0だけは決して失われることなく、常におのれの有機性を主張しつづけているのである。そして、最後に、Cと0が思いもかけなかったような結びつきとなって現れてくるように、「月」というテーマで限りない変奏曲が奏でられてゆくうちに、月に関する「原型」がその中から、重層的な画像となって出現するのである。

そして、ここが最も重要なのだが、そのあぶりだされた「原型」とは、たんに幻想文学のそれであるだけでなく、著者自身の想像力の「原型」をもあらわしているのだ。

隠喩としての砂漠。人は誰でも多かれ少なかれ自分自身の砂漠を内に秘めているにちがいない。それがどんな意味を体現しているかは、人それぞれで異なるにしても。

いいかえれば、著者は、美学的なカノンから出発しながら、そのカノンからどんどん遠ざかって、隣接的なメトニミーの連続である幻想的なイメージの具体的な世界に入り込んでいったが、じつはそう見せつつも、しかし、そのイメージの列挙という変奏曲を徹底させることで、逆に、より大掛かりな「原型」へと突き抜けたのである。

それはあたかも、ヴェルヌの地底旅行でどんどん大地の中心に下降してゆきながら、最後にその中心からマグマに乗って地上に帰還するアドヴェンチャーの図式に似ている。

いや、似ているものはまだほかにもある。それは、「プロスペローの魔島」以下の章で著者が採用しているメトニミーの積み重ねで大きなメタファーへと達する技法が、序章で取り上げられているユイスマンスの『さかしま』のそれにほかならないからだ。つまり、隣接性と列挙という典型的なメトニミーの技法を体質とするユイスマンスが、あくまで具体的な、ほとんど愚かともいえる個々の「さかしま」の実験をデ・ゼッサントに繰り返させることで、最後に、「さかしま」のメタファーを見事に人々の心に定着させ、世紀末という幻想を生み出したのに似ているのである。

この意味で、本書は、著者が、カノンだけにこだわっていた「狭義の美学者」から、澁澤龍彦や種村季弘のような文学的素養の豊かな「広義の美学者」へと転換したことを示す画期的作品ということができるのである。

たんに「ためになる」だけではなく、「面白くて、ためになる」幻想地誌学の誕生である。

【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟 / 谷川 渥
幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(301ページ)
  • 発売日:2000-10-00
  • ISBN-10:4480085815
  • ISBN-13:978-4480085818
内容紹介:
世界を地図に収め、あるいは自らのなかに世界を照射し、空想の土地をめざして旅立っていった作家たち。海の彼方の安らかな母胎トマス・モア『ユートピア』島、ヴェルヌ『海底二万里』のネモ船… もっと読む
世界を地図に収め、あるいは自らのなかに世界を照射し、空想の土地をめざして旅立っていった作家たち。海の彼方の安らかな母胎トマス・モア『ユートピア』島、ヴェルヌ『海底二万里』のネモ船長の壮絶なる孤独、ポオやメルヴィルが描いた底もなく深い霊魂の姿たる神秘の大洋、ウェルズや久生十蘭らが幻視した地下世界…想像力の地平は無限だ。文学史における空間的・地誌学的思考とその表象の連綿たる系譜を類型論的にたどり、貴重な図版多数とともに解き明かす驚くべき幻想文学誌。スリリングな知的冒険が始まる。

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