書評
『宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮社)
豊かな「愚」を生きる意識体
「賢治作品を読むことで、現代を生きる人々が忘れていることをいかに再発見できるか」という言葉で始まる本を読まないわけにはいかない。きっかけは、二〇一四年九月二七日の木曽御嶽(おんたけ)山での大規模噴火だとある。現場にいた登山者が「噴石の大きさは軽自動車ぐらい」と喩(たと)えたことに著者はひっかかる。「グスコーブドリの伝記」の「爆発すれば牛や卓子(テーブル)ぐらゐの岩は熱い灰や瓦斯(がす)といつしよに落ちてくる」という一節を思い出したからだ。賢治が牛になぞらえた噴石は人間にとって他者ではなく、一方軽自動車は身体的感覚からはずれている。賢治にとって人間、動物、森、山、水、大地は「共感と共苦の世界をともに生きている」のであり、火山を災害の根源とはしない自然との向き合い方をしている。
ここで、二〇一一年三月一一日の東日本大震災の時、どうしたらよいかわからないまま、なぜか宮沢賢治を読み始めたことを思い出した。科学技術文明の中で、深く考えることもなく暮らしているところへ自然の大きな力を見せつけられた時、考え始める手がかりとなるのが賢治なのかもしれない。
忘れていることの再発見の切り口として著者が注目するのが、タイトルにある「デクノボー」である。「雨ニモマケズ」の中に「ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」として描き出されているあれだ。
ここで注目するのが「虔十(けんじゅう)公園林」の主人公虔十である。「虔十はいつも縄の帯をしめてわらって杜(もり)の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした」と始まる。賢治の物語はどれも始まりがよい。子どもたちからもばかにされていた虔十が植えた杉はゆっくり成長し、二〇年後に村がすっかり町になった時も林としてそのまま残り、子どもがにぎやかに遊んでいた。「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」と物語は終る。
これは障害者と健常者が共生する思想の先駆的な提示ではない。デクノボーは「人間的な狡知(こうち)から解放されて、世俗の外部にある豊かな『愚』を生きるための、夢のような意識体」であり「そこに、人間の本当の故郷があるかもしれない可能性を、探究してみたい」という著者に共感する。
賢治の作品で最もよく使われるのは「風」とある。確かに風聞……文字通り「風に聞いた物語」が多い。「賢治にとって風は、啓蒙の光(=明るい世界)の対極にあるもの」、「豊饒な闇を出現させて謎を謎のままに守ろうとする」ものという指摘にも肯く。徹底的に管理された情報で人類の未来の繁栄が築かれるという嘯(うそぶ)きから賢治とともに決別し、存在の深淵から来ることばに聞き耳を立てよう。
「春と修羅」を詩ではなく「心象スケッチ」とする賢治はそれを「田園の風と光との中からつやゝかな果実や、青い蔬菜(そさい)と一緒に提供する」と言う。限界のある意識と体をもちながら高次の可能態の地平と触れ合おうとしているのだ。こうして書かれた物語はファンタジーに見え、その場がイーハトーブだが、実は賢治の世界では幻想こそがほんとうの世界に近づく方法なのだ。
社会通念や常識で現実の輪郭を固める大人になる前の子どもたちに、この世界ではあらゆることが可能であるという真実を伝えるために、賢治は童話を書いたのである。デクノボーが示す「無主の(独占的所有者のいない)希望」を「賢治とともに私たちが希求すべき世界の可能性」とすることが、今本当に必要だ。読後、眼を閉じて考えた。
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