書評

『夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか』(みすず書房)

  • 2017/07/07
夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか / クリストファー・クラーク
夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか
  • 著者:クリストファー・クラーク
  • 翻訳:小原淳
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(432ページ)
  • 発売日:2017-01-26
  • ISBN-10:4622085437
  • ISBN-13:978-4622085430
内容紹介:
第一次世界大戦はいかにして始まったのか。戦争勃発の全貌を活写し、異例の反響を呼んだ、第一次世界大戦研究の決定版。

洞察にみちた、たのしい刺激的な論考

なんと優雅な、才筆の歴史学者がいることだろう。タイトルや章名、また歴史の証人役に文学作品なり作者なりをあしらってドイツ文学者をよろこばせ、そのうえ長大な八○○ページあまりを一気に読ませるなんて……。先に最終三行をかかげておく。「……一九一四年の登場人物たちは夢遊病者たちであった。彼らは用心深かったが何も見ようとせず、夢に取り憑(つ)かれており、自分たちが今まさに世界にもたらそうとしている恐怖の現実に対してなおも盲目だったのである」

第一次世界大戦の始まりまでが詳細に「解読」されている。一九一四年七月、オーストリア皇太子夫妻の暗殺に端を発して、二国間の小競り合いで終わるはずのものが未曽有の世界大戦に発展した。四年有余にわたり六五○○万人の兵士を動員して、二○○○万人の兵士と市民を犠牲にし、あとに廃墟(はいきょ)と憎悪だけがのこった。歴史家にとっては不可解きわまる、とびきり悲劇的な事件であり、どこで何がどうまちがったのか、数かぎりない論争と研究がつづけられてきた。

Ch・クラーク(一九六○~)はオーストラリアの生まれ。シドニー、ベルリン、ケンブリッジで学び、現在、ケンブリッジ大学西洋近現代史教授。本書は二○一二年の刊行とともに直ちにヨーロッパ各国、また中国、台湾でも訳され、ドイツ語版は二○万部の売れ行きを記録した。いかにして戦争が起こるかのモデルケースを見たからだ。

日本人には第一次大戦は、せいぜい「世界史」の時間に学ぶトピックかもしれない。開戦後ひと月ちかくたってドイツに宣戦し、当時ドイツが中国、南洋諸島にもっていた植民地をぶんどった。ほとんど労せずして大陸進出、またアジアへの権益拡張の足がかりを得たまでである。だからおおかたの日本人は日本が戦争当事国だったとも思っていないし、第一次大戦はいまなお「対岸の火事」騒ぎにとどまるだろう。だが戦争を決定した当事者が「夢に取り憑かれて」いて、自分がもたらそうとしている「恐怖の現実」がまるで見えていないとしたら--。

第一次大戦の遠因は、ヨーロッパの火薬庫といわれたバルカン半島をめぐる情勢に始まる。訳書1は、サライェヴォの暗殺事件に至るまでの長い複雑な道のりであって、一般読者は学者には珍しいおシャレな語り口をたのしめばいいのだろう。

訳書2の「サライェヴォの殺人」に至り、がぜん歴史が動きだす。オーストリア皇太子夫妻の巡行のコースの変更が運転手に伝えられていず、あわてて停車して、車はゆっくり大通りに後退した。「(テロリスト)ガヴリロ・プリンツィプ、一世一代の瞬間であった」

標的が目の前にバックしてきて、銃声がとどろいた。つづく述べ方に当書の特色がよく出ている。「サライェヴォの暗殺は、一九六三年のダラスでのジョン・F・ケネディ大統領暗殺と同様に、瞬間的に人や場所を熱光線で捉え、記憶に焼き付けてしまうような出来事であった」

暗殺の報に接したとき、自分はどこで何をしていたか、人々は思い返さずにいられない。作家、自由思想家、皇帝の従臣、劇作家、財務大臣、風刺小説の主人公……こまかく証言をひろっていくのは歴史そのものではなく、歴史をめぐるメッセージこそ歴史であるという著者の考えがあってのことにちがいない。

セルビア政府に対するオーストリアの最後通牒(さいごつうちょう)と覚書(書簡)のくだりだが、草案の作成が、あまり地位の高くない参事官で名文家として知られていた男爵にゆだねられた。「誠実で善意の人」が、歴史的災厄をもたらすチェスゲームのコマになった。ここでもまた歴史をたどる多少とも皮肉な眼差(まなざ)しが一貫している。そしてつけたしのかたちで、「オーストリアの(最後)通牒は、例えばNATOがセルビア=ユーゴスラヴィアに提示した最後通牒よりも随分穏当なものである」。一九九九年二月、三月に作成されたもので、「爆撃を始めるための挑発、口実」にすぎなかった。この歴史学者は過去に生きっぱなしではなく、細部に独特の光をあてつつ、くり返し現代にもどってくる。

一九一四年七月二八日朝、(オーストリア=ハンガリー帝国)皇帝フランツ・ヨーゼフはバート・イシュルの御用邸の執務室の机で、セルビアに対する宣戦布告書にダチョウの羽ペンで署名した

帝国の威信を思い知らせる一撃で終わるだけだもの、使いなれた「ダチョウの羽ペン」で十分である。

直ちに戦争の噂(うわさ)が燎原(りょうげん)の火のごとく市中に広がり、号外がとびかった。この章を終えるにあたり、それが「当時五八歳のジークムント・フロイト」をいかに熱狂させたかの引用になる。ついては最初に引いた最終三行にもどっていただこう。誰もが願わず、誰の意思でもなく、にもかかわらず誰もこれを阻止できなかった。戦争の起源をめぐり、この上なく洞察にみちた、たのしく、刺激的な論考があらわれた。
夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか / クリストファー・クラーク
夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか
  • 著者:クリストファー・クラーク
  • 翻訳:小原淳
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(432ページ)
  • 発売日:2017-01-26
  • ISBN-10:4622085437
  • ISBN-13:978-4622085430
内容紹介:
第一次世界大戦はいかにして始まったのか。戦争勃発の全貌を活写し、異例の反響を呼んだ、第一次世界大戦研究の決定版。

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毎日新聞 2017年3月19日

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