書評

『ちちんぷいぷい』(中央公論新社)

  • 2020/02/06
ちちんぷいぷい / 松山 巖
ちちんぷいぷい
  • 著者:松山 巖
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:2016-06-08
  • ISBN-10:412004856X
  • ISBN-13:978-4120048562
内容紹介:
もしかして俺たち、もう死んじゃってる?東京の片隅に棲息する50人の独り言。50人の"お化け"が織りなす掌篇小説集。

自分にとっての生死をただ考えさせる

全五十話、一話をひとりずつ、老若男女が一人称で語る。一話はごく短いが、その短い語りのなかに、彼らの人生が濃く薄く浮かび上がる。

一話目は、息子を事故で亡くした父親のモノローグだ。彼は妻も十年前に亡くしている。父親は上京し、フォトジャーナリストを目指していた亡き息子の部屋で彼が撮った写真を眺め、息子が歩いた町を歩く。そしてあるとき乗った地下鉄で、奇妙なアナウンスを耳にする……。

次なる語り口は仮面パーティーの主催者、何かの企業社長らしい。その次の語り口は、探偵所の探偵らしき男。彼は自分が調査した奇妙な話を所長に向かってしているらしい。ひとつの言葉やシチュエーションがバトンのように次の語り手に引き継がれ、ひとり語りは延々と続く。

何か薄気味の悪い印象は、第一話からすでにある。語り手の父親とともに地下鉄に乗り、不吉なアナウンスを耳にしてしまったときから。

とはいえ、ひとつひとつの話の多くは、そう奇抜でもないし現実離れしているわけではない。語られるのは私たちのよく知っている現実である。なのに、いつのまにかぐにゃりとそれがゆがむ。ごく短い一編のうちのどこかで、ゆがんだ場所に入ってしまう。読み進んでいくと、そのゆがんだ場所が、たんに薄気味悪いだけではないことに気づく。滑稽(こっけい)な場合もある。目を見はるほどうつくしい場合もある。異様に静まりかえっている場合もある。手をのばしてものばしても何にも触れられないような場合もある。ともあれ、現実によく似た、それでいて奇妙な異界に連れていかれるのである。読みやめない限り、何度も何度も。

どの話にも既視感はなく、親近感を覚えない。私にもそういうことがあったとか、身近な人から聞いたことがあるとか、自身や友人の経験を重ねることはできない。けれども、こちらが親近感を覚えていないのに、向こうから勝手に近づいてくるのである。近づいてくる中味に目をこらせば、たしかに、ひとつのエピソードは見覚えのあるもので満ちている。喪失感、後悔、嫉妬、懐疑、憎悪、あこがれ、恋、愛、友情、信頼、それからもっとたくさんの、言葉にはあてはまらない、でも私たちがよく知っている感情や関係が、この短いひとりの語りのなかに詰まっていて、だから、親近感を覚えないのに、知っているような気持ちになってしまう。見知らぬ人が語る、生きることの煩雑さや、人とかかわることのおそろしさ、人を愛したときの万能感、そうしたものを、ありありと理解してしまう。

この人たちは、どこでこの珍妙な話を語っているのだろう? そんな疑問を持つのは、どこでも可能なように読めるからだ。現在かもしれないし、未来の声かもしれず、過去から響く声かもしれない。あるいは帯に書かれているとおり、この人たちはみんな死んでしまっていると考えることもできる。どの話にもある「ゆがみ」は、もしかしたら生と死の分かれ目なのかもしれない。

たしかに、これだけ生々しく現実や感情や関係についてみんなが口々に語っているのに、やけにひっそりとしていることに気づく。生きている私の想像する、死後の世界のようなひっそり感だ。でもそれは、反対にいうと、こんなにひっそりとしているのに、現実も感情も関係も何ひとつ浄化されていない、ということになる。つまり、もし彼らがすでに死んでいたとすると、死んでもなお、解放されていないことになる。後悔は後悔のまま残り、疑いは疑いの色を濃くし、愛は執着としてこびりつき、喪失は埋められることもない。だれも寛容にもならず、解脱もしない。許しもしないし、わかり合いもしない。ただうっすらとしたあきらめが漂っている。死と、あきらめは、なんだか近いのかもしれない。

でもそれで、私は考えてしまうのだ。幸福とはなんだろう? 生きているうちにしか、私たちは幸福を手にすることができない。この奇妙な小説を読むまでずっと、幸福とは平穏だと私は無意識に思っていた。だれも傷つけず傷つけられず、とくべつなことは何も起きない、凪(な)いだ海のような人生を幸福というのではないかと思っていた。けれど違うのかもしれない。死んでもなお手放せない何かがあること。忘れられない、許せない人がいること。煩雑でやっかいで面倒でしんどいものと、闘ったり、折り合いをつけたり、息切れしながらなんとか伴走していくこと。生きることがたいへんであればあるほど、それは幸福に近いのかもしれない。そんなふうに思う。

五十話目を読んで、はっとさせられる。この五十人(正確には四十九人)の声は、どこから発せられているのか気づくからだ。そして、この現実に生きている私たちが、どこに立っているのかも、気づかされるからだ。頑丈さと脆(もろ)さが矛盾なく同居する「瞬間」に、声の主も、私たちも、ぶらさがっている。

この掌編集は、生きることと死ぬことを、美化も賛美もしていない。ただ考えさせてくれる。自分にとってそれらが何であるのか。自分以外の大勢にとって何であるのか。
ちちんぷいぷい / 松山 巖
ちちんぷいぷい
  • 著者:松山 巖
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:2016-06-08
  • ISBN-10:412004856X
  • ISBN-13:978-4120048562
内容紹介:
もしかして俺たち、もう死んじゃってる?東京の片隅に棲息する50人の独り言。50人の"お化け"が織りなす掌篇小説集。

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毎日新聞 2016.07.31

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