書評

『石上露子集』(中央公論社)

  • 2024/03/08
石上露子集 / 石上 露子
石上露子集
  • 著者:石上 露子
  • 編集:松村 緑
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(214ページ)
  • 発売日:1994-03-01
  • ISBN-10:4122020824
  • ISBN-13:978-4122020825
内容紹介:
明治のロマンチシズムの最も清純な流れを代表する稀有の詩人石上露子。多くの人に愛誦された絶唱「小板橋」を始めその作品に心惹かれていた著者が、ここに全作品を収録・紹介し、結婚後、消息… もっと読む
明治のロマンチシズムの最も清純な流れを代表する稀有の詩人石上露子。多くの人に愛誦された絶唱「小板橋」を始めその作品に心惹かれていた著者が、ここに全作品を収録・紹介し、結婚後、消息を断っていたこの明星派歌人の足跡を辿り全容を明らかにする。明治文学史の貴重な資料でもある。

目次
『明星』時代(詩 小板橋;短歌 八十首;美文)
『冬柏』時代(短歌 二百五十七首)
自伝 落葉のくに

忘れかねる人への想い

「いま、本屋で買ってきたばかりだけど、これはいいよ」

大阪から来た友人が待ち合わせの改札口で立ち読みしていた。『石上露子(いそのかみつゆこ)集』(中公文庫)、私も早速、本屋へ向った。

冒頭に明治四十年の詩がある。

  小板橋

  ゆきずりのわが小板橋

  しらしらとひと枝のうばら

  いづこより流れか寄りし。

  君まつと踏みし夕に

  いひしらず泌みて匂ひき。

  今はとて思ひ痛みて

  君が名も夢も捨てむと

  なげきつつ夕わたれば、

  あゝうばら、あともとどめず、

  小板橋ひとりゆらめく。


声に出して読んでみる。何度読んでも、私は飽きなかった。

石上露子。いそのかみつゆこはペンネームで本名杉山孝子、明星派の歌人だという。明治十五年、大阪富田林の裕福な造り酒屋に生まれた。活発な子で、着るものも「赤気なしの男作り」、髪もかり上げ、ゆく先々でお坊ちゃんといわれたそうだ。

娘ざかりの写真をみると麗人であり、長谷川時雨が「この秀麗(うつく)しき女(ひと)は、うつくしき心を歌に読み、心の響きを十三絃の糸につたへ、河内の国の富田林に、広き家をかまへ、心静かに想(おもひ)にふけつてゐる」と『美人伝』に神話化している。しかし、実物の石上露子は、自我にめざめた、活発な人ではなかったか。

四つ辻をまがる長い袂のふりから真白いゴムまりがころげ落ちた。それをゆきずりの見にくい男の子がひらつてゆく。私はまりになりたくない。(自伝『落葉のくに』)

旧家のお嬢さまとして育ったが、男性の所有物になることを強く忌み嫌っていたように思われる。「心の奥の奥で小さいがするどい声」を彼女は聞こうとした。しかし、この人の実人生は幸福とはいいがたかった。

生母とは生き別れ、血を分けた妹は早く嫁に出されて夭折した。父親には愛されていたけれども露子自身、旧家の跡とり娘として気に染まぬ結婚をせざるを得ず、夫、三児すべてに先立たれている。

作品は二十歳から結婚までに詩一篇、「明星」同人時代の短歌八十首、美文五篇のみ。その多くは娘時代に上京したおり、面影を心に宿した男性への想いをうたっている。

  秋かぜに人ぞ恋しきうらめしき死ぬと遠野に別れても猶(なほ)

  君ならぬ車つれなう門すぎてこの日も暮れぬ南河内に

  山かげは春まだ浅し日もすがら小雪の空に君をこそ思へ

遠く離れた旧家の家督相続人同士。叶わぬ恋であった。しかし、抑圧された慕情は、成就した恋よりもあとをひく。その薄幸が「小板橋」のような、感傷をはるかに越えた絶唱を生んだのである。

それだけではない。結婚後、夫に創作活動を禁止され、二十三年の長い空白ののち、夫と別居して露子は「明星」の後身である「冬柏」に復活する。そこでまたしても、彼女は忘れかねる人への想いをうたう。

  思へども長き月日のわりなさに薄れし恋と歎きこそすれ

  竹(たか)むらに夕の風のさわぐだにかのまぼろしをふと胸に抱く

二児の母である。嘲りすら感じた夫との葛藤を経て、歌からは大人の女の気持ちがしんしんと伝わってくる。

  このゆふべ京の少女に立ちまじり行けどまぎれず己が悲しみ

  狂ふまで我を憎める人ありて悲しけれども生甲斐を知る

同じ古い商家に生まれながら、家を捨て、恋と自己表現に賭け得た与謝野晶子、高村智恵子、野上弥生子らの後ろに、何人の、いや何百人の石上露子がいたのだろうか。

書き添えれば、この詩人に打ち込んで集を編んだ松村緑の解説がまた絶品である。

【この書評が収録されている書籍】
深夜快読 / 森 まゆみ
深夜快読
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(269ページ)
  • 発売日:1998-05-01
  • ISBN-10:4480816046
  • ISBN-13:978-4480816047
内容紹介:
本の中の人物に憧れ、本を読んで世界を旅する。心弱く落ち込むときも、本のおかげで立ち直った…。家事が片付き、子どもたちが寝静まると、私の時間。至福の時を過ごした本の書評を編む。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

石上露子集 / 石上 露子
石上露子集
  • 著者:石上 露子
  • 編集:松村 緑
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(214ページ)
  • 発売日:1994-03-01
  • ISBN-10:4122020824
  • ISBN-13:978-4122020825
内容紹介:
明治のロマンチシズムの最も清純な流れを代表する稀有の詩人石上露子。多くの人に愛誦された絶唱「小板橋」を始めその作品に心惹かれていた著者が、ここに全作品を収録・紹介し、結婚後、消息… もっと読む
明治のロマンチシズムの最も清純な流れを代表する稀有の詩人石上露子。多くの人に愛誦された絶唱「小板橋」を始めその作品に心惹かれていた著者が、ここに全作品を収録・紹介し、結婚後、消息を断っていたこの明星派歌人の足跡を辿り全容を明らかにする。明治文学史の貴重な資料でもある。

目次
『明星』時代(詩 小板橋;短歌 八十首;美文)
『冬柏』時代(短歌 二百五十七首)
自伝 落葉のくに

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日夫人(終刊)

毎日夫人(終刊) 1993~1996年

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
森 まゆみの書評/解説/選評
ページトップへ