書評

『青草』(筑摩書房)

  • 2022/12/01
現代日本文学全集〈第79〉十一谷義三郎,田畑修一郎,北条民雄,中島敦集 /
現代日本文学全集〈第79〉十一谷義三郎,田畑修一郎,北条民雄,中島敦集
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:-(430ページ)

十一谷 義三郎『青草』(『現代日本文学全集〈第79〉十一谷義三郎,田畑修一郎,北条民雄,中島敦集』収録 )

十一谷義三郎、じゅういちやぎさぶろうとでも読むのだろうか。

古書店で入手した筑摩書房の「現代日本文学全集」の中に『十一谷義三郎・北條民雄・田畑修一郎・中島敦集』というのがあった。十一谷義三郎はこの四人の中ではまだ長生きしたほうで、昭和十二年に三十九歳で亡くなっている。

風変わりな苗字につられて読んでみたのだが、がいして淋しい短編小説である。

主人公は「交際圏が狭いと云ふよりは無いと云つて好い」ような男であったり、動物園に行っても「英雄主義の獅子や金ピカの孔雀」などには見向きもせず、「獺(かわうそ)と駱駝(らくだ)と火食鳥」ばかりをひいきにしているような男だったりする。

淋しくて、地味で、陰気である。読んでいてわくわくするようなものではない。いかにも体の弱い、病身の人の書いたものらしい。私には苦手なノリ(という軽薄な言葉をあえて使う)なのだけれど、まず文章がいい、これはなかなかの上等物だという感触があって、どこがどう上等なのだろうというのが気になって、それでずんずんと読み進んでしまう。

文章は、かなり巧いと思う。巧いという言葉はあんまりふさわしくないかもしれない。言葉をだらしなく使っていないと思う。美文を嫌う人の文章だと思う。たとえば、古い日本の女の礼儀作法を「折紙のやうな」、主人公の男の書く小説を「店晒(たなざら)しの野菜のやうにいぢけてゐる」、やせた脚を「蟷螂(かまきり)のそれのやう」と形容するところ、読んでいるときは目立たないのに、頭に残る。

十一谷義三郎は三十過ぎてから唐人お吉に強い興味を抱いて、三十二歳のとき比較的長い『唐人お吉』を発表して、これが代表作のようになっているらしい。これはストレートに面白い。文章も華やかだし(稲垣足穂は、泉鏡花張りで「意外」と評している)、そこはかとないユーモアも漂っている。もちろんドラマティックでもある。こういう上出来の小説がロングセラーにもならず、十一谷義三郎という名前もすっかり忘れられている、というのが不思議でたまらない。

それでも、私には『青草』や『芽の出ぬ男』『仕立屋マリ子の半生』といった陰気な短編のほうが心に残った。とくに好きなのは『青草』で、これは、なんだか悲しいことがあって泣き出したいのだけれど、心の中の焦点が合わず盛大に泣き出せないような、そういうヘンな気持のする小説である。

「杉兄弟は支配人の娘の歌津子と殆ど同じ一つの揺籃の中で育つた」という書き出しで始まるこの小説は、雑に言ってしまうと、造り酒屋に生まれた「兄」と「弟」の、幼なじみの「歌津子」をめぐる愛の争奪戦――と言ったら、うーん……やっぱり下世話に過ぎるだろうか。とにかく少年時代の話が中心になっていて、「弟」の視点で描かれている。

二人の少年と一人の少女。何の屈託もなく仲よく遊んでいた三人に、ある日、決定的な事件が起きる。無花果(いちじく)の木にのぼっていた「兄」が顔にへばりついてきた大きな蜘蛛を振り払おうとして、体の重心を失って木から落ち、眼を傷つけてしまう。「兄の左の眼はその時以来ずつと黒眼鏡で蔽はれてゐる」

「弟」は勝気で健康な子どもだったが、いつの間にか何かしら憂うつを感じるようになっていく。「黒眼鏡を掛けだしてから、一層静な清浄な感じのする子供」になった「兄」にたいして、距離を置くような、圧迫されるような気持を抱くようになる。「兄」と「歌津子」の会話に神経をとがらせる。

やがて、父親が死に、「弟」が造り酒屋のあとをつぎ、「兄」は家の庭に医学の研究所を建てて、終日それにこもるようになる。そして――「兄は歌津子と結婚した。そして幸福であった」。

そのあとが、ドキリとさせる。

ある日、「兄」は少し興奮して「弟」を自分の研究所へ引っ張って行って、あるものを見せる。

机の上にはアルコホル漬けにした蜘蛛の壜が幾つも並んで居り、その前の硝子器の中にも一匹大きなやつがぢつと伏せられてゐる。それがよく見ると、四対ある単眼の七つが、押し潰されて、そこに黒ずんだ粘液が盛り上つてゐるのだ。

「兄」は冷たく笑って説明をする。彼は蜘蛛のオスとメスをつかまえ、そのオスの単眼にガラスの針を刺し通してから、これを花嫁のメスに与えた。一群の蜘蛛の子が生まれた。子どもの代と孫の代とに亘って、拡大鏡で、その眼を調べた。孫のうちで一匹怪しいのがあったので、それを飼育しておいて今日試験したが、異常はなかった――というのだ。

兄は少し赧(あか)くなりながら、『つまり俺の子にも眇(すがめ)は生れないつてことになるからなあ。』『お目出たはいつでしたつけ?』『なあに、まだまだだがね。』そして兄は硝子器の中の蜘蛛を窓から外へ抛り出した。

アルコール漬けになっていた二代の蜘蛛――というのが、強烈に想像力をかきたてる。この「兄」の複雑な思いが凝集している感じがする。感情のいろいろを、この作者はくどくど説明せず、禁欲的なまでに説明を排し、あくまでも具体的なものやセリフやしぐさの描写だけで、想像させていく。

研究所から座敷に戻った「弟」は嫂(あによめ)(つまり歌津子)から見合い写真を見せられる。弟はそれを見ることもなくほうり出し、心の中でヨブ記の「野驢馬あに青草あるに鳴かんや」と呟きながら寝ころぶ。

嫂は非難するやうに彼を見てゐた。それからふいと立つて縁側に出た。向うの試験所の窓が明いて兄がこちらへ半身を現してるのだつた。弟はそれを盗み見てまた目を閉ぢた。

――というのが、この小説のラストである。静かに、こわいでしょう。

十一谷義三郎は自分を評して、こんなふうに書いている。

もだんな(㊟モダンな)ある若い婦人が、彼女の、洋風住宅の設計図を僕に示して、云つた。“遊びに来たら此処へ入れてあげるわ”――で、その爪磨きした、爽々しい指頭に眼を注ぐと、それは応接間でもなく、和室でもなく廊下の壁に寄せて造りつけた、低い戸棚を指してをつた……そんな男で、僕は、あるらしい。

僕の眼は、茶いろだ。鏡で、それを見るたびに僕は、なんだか、忍従的な、牛の眼を想ひ出す。


【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

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現代日本文学全集〈第79〉十一谷義三郎,田畑修一郎,北条民雄,中島敦集 /
現代日本文学全集〈第79〉十一谷義三郎,田畑修一郎,北条民雄,中島敦集
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:-(430ページ)

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初出メディア

毎日グラフ・アミューズ(終刊)

毎日グラフ・アミューズ(終刊) 1995年3月8日号~1997年1月8日号

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