書評
『海の味―異色の食習慣探訪』(八坂書房)
メダカの佃煮を食べてみよう
イソギンチャクやヒトデを魚貝類とは言わないかもしれないが、カワニナだと魚貝の貝にはいちおう入るだろう。メダカ、マンボウ、はまちがいなく魚。このほかも加えると計四十四種の水に住む生物たちが登場する。以上のような魚貝類、海産物を食に供する習慣が日本列島には古くからあってそれを歴史学的に民俗学的に調査したのがこの本、と副題の「異色の食習慣探訪」を見て思って読みはじめたら、そんなんじゃなくて、主題の『海の味』が当然ながら本当の内容で、著者がそういうシロモノを実際にとっつかまえて食ってみたらどんな味がしたかという話なのである。魚屋さんの店先に並んでいない魚貝類の調理法と賞味の仕方を教えてくれるから、食べることが好きな人には欠かせない一冊になるだろう。
実はこの手の本を私は長らく待ちのぞんでいた。たまたま生まれたのが山国信州で、子供の頃からチョウやトンボやハチの子やズイムシ、ゲンゴロウ、タガメなんかをおやつ代わりに取って食べて育ったせいで、食の根本は手当たりしだい食べることにある、という確信を持つことにいたり、ぜひとも海国の人たちが何をどのように手当たりしだい食べてきたかを知りたかった。いっぷう変わった動植物関係の本でその筋に知られる八坂書房が先に山国向けの『虫の味』篠永哲・林晃史著(一九九六年)を出しており、そろそろ次は海のムシでと思っていたら、この本が出たのだった。『虫の味』、『海の味』の二冊により、わが日本列島に神話の頃から住みつく海彦と山彦の食べ物語りは完結する。
ではあるが、フッフッ、気の弱い人、食の細い人は読まない方がいい。
まず、調理法から。山国でチョウチョウを調理する時のポイントは、両の手の平で軽くもんで羽とリンプンを吹き飛ばすことだが、では海国では、海のムシ相手にどんな調理法を工夫してきたんだろうか。たとえば、ヤドカリの場合、巻き貝の中に固く身を縮めるのをどのようにして引き出すか。貝原益軒の『大和本草』には「海人多クヒロイテ一所ニ集メ、泥水ヲニコラセバ殻ヲ出ツ、是ヲ取集メシホカラニス」と書いてあるそうで、著者は試してみる。大潮の時厳島神社の赤い鳥居のまわりで三百匹を採集し、バケツに放し、泥を加えてかき回し、泥が沈澱すると、貝原益軒のいうとおり三百匹が貝を捨ててゾロゾロはい出してきた。このテクニックは覚えておくといずれ役立つ。
はい出てきたヤドカリを益軒の教えに従い塩辛にして食べてみると、
これがうまい。磯の香りが口にひろがって、エビでもカニでもないヤドカリの味と言うべきであろう。職場のみなさんに試食してもらったところ、評価はまっぷたつに分かれた。うまい派はみな酒飲みであった。
例の赤い鳥居のまわりで採集したり、ヤドカリの塩辛を平気で食べる職場のみなさん。ふつうではないが、著者は厳島神社のそばの宮島水族館の副館長の職にある水産学者なのである。どおりで四十四種もの海のムシを。
ヒトデはどうすればいいか。古文献には例外なく「食物ニアラズ」とか「海人拾集メテ田肥トス」とか食品には適さないと記しているが、ヒトデとウニとナマコが同じ棘皮(きょくひ)動物に属することを知る水産学者としては古人の記述をそのまま信じるわけにはいかず、八方その筋をたどって調べ、北海道の一部と九州天草では口に入れることを突きとめ、さっそく調理にとりかかる。腹の側の中心部分の固い外皮を切りとると、中には内臓が詰まっていて、見たことのあるような黄色い塊がある。もしやこれは。焼きヒトデにして食べてみると、「オッ、これはウニの味」。サンゴ礁を食い荒らす巨大なオニヒトデが問題になっているが、ウニと並べて寿司屋で出したら一石二鳥ではあるまいか。
しかし、海彦の道はおいしいことばかりではない。ゴカイ、そう例の釣りの餌に使うゲジゲジを巨大にしたようなあの虫は人の餌にもなると古書に出ており、探しに探して、八戸の漁村の古老が今でも一人、昔をしのんで塩辛とサシミにして賞味していることを突きとめ、出かけ、塩辛の方を味わう。
まず、箸でひとつまみ口に含んでみた。何とも形容しがたい強烈な味。あえて表現するなら、えぐくて、しぶくて、くせがあって、しつこく、あくが強い、さらにこのすべての形容詞に濁点をつけたくなるような味である。
ゲテモノばかり紹介してきたが、“夏休みの宿題”向きの健全なのもある。メダカ。網ですくって、二、三日泥ぬきし、それからふつうに佃煮にすればいい。新潟県にはメダカ食の伝統があり、今も新津市の佃煮メーカーが作っていて、商品名は「めだかの里」だそうである。エコロジカルなこの御時世、海彦よ永遠に幸あれ。
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