書評
『ウェルギリウス『アエネーイス』―神話が語るヨーロッパ世界の原点』(岩波書店)
現代的意味の理解みずみずしく
本書の原典『アエネーイス』は、内容の多彩さ、文学史的意味の深さのわりには知名度が低い古典ではあるまいか。テーマはホメロスが吟じて名高い『イリアス』の後日談、作者は古代ローマきっての大詩人ウェルギリウスだ。そのウェルギリウスは1300年後、これも著名な『神曲』の中でダンテを案内して(ダンテの考えによる)死後の世界を説き明かしている。ルネサンスのさきがけであり、20世紀以降の展望を含む遠大な思索であった。
略述すれば、トロイ戦争のあと、敗れた王家の一員アエネーアスが母国の再建を願って地中海をさすらい、イタリア半島に至ってここに小国を興し、それがローマの誕生となった、という伝説の記述である。『イリアス』に模して創られ、タイトルはアエネーアスの物語の意、英語では『イーニイド』と呼ばれているようだ。ウェルギリウスは初代皇帝アウグストゥスの知遇をえて、この叙事詩にローマ帝国建国の理念と歴史的必然性を示し、ローマ市民啓蒙(けいもう)の意図を明白に含ませている。ローマの平和をも思案している。
本書『アエネーイス』は2部からなり、第1部は“書物の旅路”であり、第2部は“作品世界を読む”である。ご用とお急ぎのかたには第2部が原典のあらすじを伝えて楽しめるが、注目すべきは第1部のほうで、『アエネーイス』がどう誕生し、歴史の中でどう評価され、その現代的意味はなにか、という解明がみずみずしい。よく生きる哲学と他者との共生の政治学を求めたローマ世界を反映して、この叙事詩は時代を貫くエトスを含んでいる、と説いている。
話は変わるが、本書は世界の古典30点ほどを解説するシリーズ「書物誕生」の中の一冊。シリーズは広義の入門書的著述であり、「翻訳された原典は文庫本でどうぞ」というコンセプトで編まれているが、特筆したいのはそういう原典の翻訳本が(絶版もあるが、とにかく)この国できっちりと上梓されてきたことだ。この文化の存在する意味を、本が読まれなくなりつつある今、強く訴えたい。
朝日新聞 2009年04月19日
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