書評

『パタゴニア・エキスプレス』(国書刊行会)

  • 2022/04/16
パタゴニア・エキスプレス / ルイス セプルベダ
パタゴニア・エキスプレス
  • 著者:ルイス セプルベダ
  • 翻訳:安藤 哲行
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(219ページ)
  • 発売日:1997-12-01
  • ISBN-10:4336039569
  • ISBN-13:978-4336039569
内容紹介:
日曜日ごとに教会を「襲撃」した祖父との思い出に始まり、独裁政権下の祖国を逃れ世界各地を経巡った日々、そして、うそつきガウチョや天才科学者たちの待つ「世界の南の果て」パタゴニアへの帰還の旅…。新しいラテンアメリカ文学の旗手として、ヨーロッパでも絶大な人気を誇る作家が描くユーモラスで感傷的なトラヴェローグ。

文明への辛辣な批評と、口誦文芸的ユーモアと

ラテンアメリカの〈ポスト・ブーム〉世代に属するセプルベダの作風は、リアリズム回帰、エンターテインメント志向を特徴としているから、とにかく読みやすく分かりやすい。『パタゴニア・エキスプレス』に収められているのは、『カンガルー日和』ではないが、いずれも「小説のようなもの」である。けれど村上春樹が自我にこだわったのに対し、このセプルベダの「ノート」は、ジャーナリスト時代のガルシア=マルケスがカリブ海沿岸で、中上健次が紀州で行なった、フォークロア採集の仕事を思い出させる。そこには自我よりも共同性に対する意識が強く感じられるからである。

足を使って土地を巡り、土地の語る言葉に耳を傾ける。すると「辺境」は、押しつけられた卑屈さをかなぐり捨てて、美しく豊かな素顔を現わし始める。土地の人々は陽気で饒舌になる。『パタゴニア・エキスプレス』は、セプルベダのそんな旅の覚え書からなっている。だがその旅は、自分が今属する土地の文化や歴史を掘り下げていったマルケスや中上のそれとは異なり、チェ・ゲバラにならった大陸規模の旅であり、さらに祖父との約束を起点とし、約束どおり彼の生地を訪れることで取り敢えずの終点に到達する、壮大な旅でもある。しかも彼は、分身である「ぼく」に語らせているように、軍事政権時代に政治犯として二年半、「どこでもない場所」すなわち刑務所への旅を経験し、そこからペルソナ・ノン・グラータとして国境を越えるのだ。したがって彼の旅は、快適さを約束された旅とは対照的な、死の危険を孕む亡命の旅として始まることになる。

あるときは計器もまともにないポンコツ・セスナで空を飛び、またあるときは戦前の日本製蒸気機関車を使ったエキスプレスでパタゴニアを走る。しかし、語り手を運んだそれらの乗物も今は存在しない。この本は、失われる直前の過去を書き留めたノートでもある。ここで語り手や登場人物の冒険、手柄、失敗談を紹介してしまうのは野暮だけれど、たとえば熱帯の娼家の女将に見初められたカナダ人の逸話、回想録執筆の儲け話に乗せられた主人公が、危うく名門の末裔の大女の種馬にさせられそうになったという逸話など、マチスモとエロスの香りのする話に読者は笑い転げつつペーソスを味わうだろう。

権力に対する辛辣な批評と口誦文芸的ユーモアというセプルベダの特徴は、その批判の矛先を、国家さらにはより大きな対象である文明へと向けた中篇『ラブ・ストーリーを読む老人』でもいかんなく発揮されている。「辺境」の密林に暮らす先住民から多くの英知を授かった白人の老人と山猫の宿命の対決を描いたものだ。グリーンピースの運動に参加した著者だけに、人間と自然の共生の可能性をテーマとする寓話とも読め、愛の物語が人間の野蛮さを忘れさせるという最後の一節がいささか唐突に感じられるものの、密林の匂いや息遣いが実に魅力的に描かれ、人間とは何かという問いを、地球レベルで考えさせる作品となっている。

ラブ・ストーリーを読む老人 / ルイス セプルベダ
ラブ・ストーリーを読む老人
  • 著者:ルイス セプルベダ
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(167ページ)
  • 発売日:1998-01-01
  • ISBN-10:4105363018
  • ISBN-13:978-4105363017

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

パタゴニア・エキスプレス / ルイス セプルベダ
パタゴニア・エキスプレス
  • 著者:ルイス セプルベダ
  • 翻訳:安藤 哲行
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(219ページ)
  • 発売日:1997-12-01
  • ISBN-10:4336039569
  • ISBN-13:978-4336039569
内容紹介:
日曜日ごとに教会を「襲撃」した祖父との思い出に始まり、独裁政権下の祖国を逃れ世界各地を経巡った日々、そして、うそつきガウチョや天才科学者たちの待つ「世界の南の果て」パタゴニアへの帰還の旅…。新しいラテンアメリカ文学の旗手として、ヨーロッパでも絶大な人気を誇る作家が描くユーモラスで感傷的なトラヴェローグ。

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翻訳の世界

翻訳の世界 1998年6月

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