書評

『熱帯』(文藝春秋)

  • 2020/08/13
熱帯 / 佐藤 哲也
熱帯
  • 著者:佐藤 哲也
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(275ページ)
  • 発売日:2004-08-25
  • ISBN-10:4163232400
  • ISBN-13:978-4163232409
内容紹介:
その夏、かつてない熱気と湿気とが東京上空を覆い、想像を絶した酷暑が都民を襲った。制御不能の暑さに停止する空調。倒れる人々。そこに、伝統回帰を唱えエアコンを爆破するテロリストまで現… もっと読む
その夏、かつてない熱気と湿気とが東京上空を覆い、想像を絶した酷暑が都民を襲った。制御不能の暑さに停止する空調。倒れる人々。そこに、伝統回帰を唱えエアコンを爆破するテロリストまで現れて……。すべての謎は、日本政府がひた隠しに隠す国家の最高機密「事象の地平」にある?
氷をぶちまける過激派、CIA工作員、水中に暮らす水棲人、政府の役人たちが熱帯と化した品川を舞台に繰り広げる大攻防戦の結末は?読み始めたら止まらない灼熱のノンストップファンタジー。
文化人類学者レヴィ=ストロースによれば、あらゆる神話はそれを構成する基本的主題の変形からなり、神話の物語には一定の普遍的構造が隠されていて、それによってすべての神話は説明できるんだそうです。つまり、使い回しがきく、便利な体系なんですね、神話は。

ところが一九世紀末、人類は自然主義にかぶれてしまいます。女弟子に妄執を抱きながらも想い果たせず、彼女が使ってた蒲団に顔をうずめて泣くオレ――そんな話を書いた田山花袋なんて作家も「何事も露骨でなければならん、何事も真相でなければならん、何事も自然でなければならん」と、大変な剣幕で己の内面やら性欲やらと向かい合う文学を称揚した、そんな時代があったわけです。

それから幾星霜(いくせいそう)。人類はさまざまな文学理論をこさえては否定し、こさえては否定して、二〇世紀後半に至っては勢い余って「死んじゃったー」なんて文学自体を殺してしまい、己の首を締めている有様。錯乱するにもほどがありましょう。

で、ですね。思弁的コミック・ノベルという、かつて筒井康隆が頑張っていたものの、今となってはその困難さゆえに日本では誰も手を出さなくなってしまった分野を一人開拓し続けている佐藤哲也の最新刊『熱帯』は、神の呪いによって熱帯と化した東京を舞台に、ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』の語りを下敷きにしながら、スパイ小説、SF、戦隊アニメやK-1のパロディ、映画『レザボア・ドッグス』などを織り込んだ、スラップスティックな風刺喜劇になっているんです(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2004年)。

自然主義お得意の内面描写は皆無。神が唐突に現れて、エウリピデスの悲劇に出てくる「デウス・エクス・マキナ」みたいに人間が生み出すカオスの交通整理をしてくれるわ、登場人物が読み手に向かって自作解説しちゃうわ、何でもあり。システムエンジニアや、不明の事態を不明なまま放置するために置かれている不明省の役人、熱帯と化した気候を不快に感じるのは愛国心の欠如であるとしてエアコン破壊テロを繰り返している右翼団体、KGBにCIA、果ては超ラブリィな水棲人までが入り乱れ、エントロピーの増大を思わせる無秩序一途の物語を駆け抜けて、“事象の地平”その彼方を目指すんであります。

なんて説明されたって「なんのこっちゃ」と思うでしょ。いいのいいの、全部わかんなくたって。そのわかんなさも含めて面白い、スリリング。これは、そういう小説なんですから。神話にはこんな再利用の仕方もあるのねっ。トヨザキ感服つかまつり候の巻でございました。

【オンデマンド版】
熱帯 / 佐藤哲也
熱帯
  • 著者:佐藤哲也
  • 出版社:Tamanoir
  • 装丁:オンデマンド (ペーパーバック)(375ページ)
  • 発売日:2019-08-01
  • ISBN-10:4910014527
  • ISBN-13:978-4910014524
内容紹介:
「もし天上に神があるなら、あの連中にわたしの涙の償いを払わせてください」神々の呪いを受けた炎熱都市を、CIAが、元KGBが、テロ集団が、謎の水棲人が走る。いかなるものもその管理下に… もっと読む
「もし天上に神があるなら、あの連中にわたしの涙の償いを払わせてください」

神々の呪いを受けた炎熱都市を、CIAが、元KGBが、テロ集団が、謎の水棲人が走る。

いかなるものもその管理下に置かれたその瞬間、失敗でも過失でも不手際でも不祥事でもなく、不明の出来事としてしまう無敵の官庁、不明省。そのコンピューター・システムの改修プロジェクトは既に九年目に突入し、設計審査会が間近に迫る中、元請けからの契約内容変更と大幅減額を拒んでプロジェクトから外された外注企業のリーダーの祈りに応えて、神々は二柱の神、熱気と湿気を送った。

その頃、我が国の気候は無謬であり夏を暑いと感じるのは東京裁判によって伝統がねじ曲げられたからだと主張して室外機の爆破を繰り返していた大日本快適党党首多々利無運は、真の伝統が隠されている筈の「事象の地平」が、不明省によって湾岸の倉庫に保管されていることを知る。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

【Kindle版】
熱帯 / 佐藤哲也
熱帯
  • 著者:佐藤哲也
  • 出版社:Tamanoir
  • 装丁:Kindle版(269ページ)
  • 発売日:2019-08-01
内容紹介:
「もし天上に神があるなら、あの連中にわたしの涙の償いを払わせてください」神々の呪いを受けた炎熱都市を、CIAが、元KGBが、テロ集団が、謎の水棲人が走る。いかなるものもその管理下に… もっと読む
「もし天上に神があるなら、あの連中にわたしの涙の償いを払わせてください」

神々の呪いを受けた炎熱都市を、CIAが、元KGBが、テロ集団が、謎の水棲人が走る。

いかなるものもその管理下に置かれたその瞬間、失敗でも過失でも不手際でも不祥事でもなく、不明の出来事としてしまう無敵の官庁、不明省。そのコンピューター・システムの改修プロジェクトは既に九年目に突入し、設計審査会が間近に迫る中、元請けからの契約内容変更と大幅減額を拒んでプロジェクトから外された外注企業のリーダーの祈りに応えて、神々は二柱の神、熱気と湿気を送った。

その頃、我が国の気候は無謬であり夏を暑いと感じるのは東京裁判によって伝統がねじ曲げられたからだと主張して室外機の爆破を繰り返していた大日本快適党党首多々利無運は、真の伝統が隠されている筈の「事象の地平」が、不明省によって湾岸の倉庫に保管されていることを知る。

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【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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熱帯 / 佐藤 哲也
熱帯
  • 著者:佐藤 哲也
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(275ページ)
  • 発売日:2004-08-25
  • ISBN-10:4163232400
  • ISBN-13:978-4163232409
内容紹介:
その夏、かつてない熱気と湿気とが東京上空を覆い、想像を絶した酷暑が都民を襲った。制御不能の暑さに停止する空調。倒れる人々。そこに、伝統回帰を唱えエアコンを爆破するテロリストまで現… もっと読む
その夏、かつてない熱気と湿気とが東京上空を覆い、想像を絶した酷暑が都民を襲った。制御不能の暑さに停止する空調。倒れる人々。そこに、伝統回帰を唱えエアコンを爆破するテロリストまで現れて……。すべての謎は、日本政府がひた隠しに隠す国家の最高機密「事象の地平」にある?
氷をぶちまける過激派、CIA工作員、水中に暮らす水棲人、政府の役人たちが熱帯と化した品川を舞台に繰り広げる大攻防戦の結末は?読み始めたら止まらない灼熱のノンストップファンタジー。

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初出メディア

TV Bros.

TV Bros. 2004年10月2日号

多彩な連載陣のコラムが人気のポップカルチャーTV情報誌。豊﨑由美氏の書評コーナー「帝王切開金の斧」が好評連載中。

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